2013年7月12日金曜日

最大多数の最大幸福

あの時代には、天然資源は無限にあり、人間の活動が地球環境に影響を及ぼすなど、誰も考えてもいなかった。原子力発電や遺伝子組み換えなど、人類の生存を左右するような技術が登場するのはまだ先で、だからこそ、人間もそこまで先の未来を見通す必要はなかった。だから、高エネルギー消費型の大量生産、大量消費社会に進んでいったのだ。つまるところ、世代を超えた問題というのは、いま生きている国民の最大多数の最大幸福を実現するだけでは不十分で、まだ生まれていない世代の「声なき声」が投票結果に反映されていなければ、合理的な意思決定とは言えないのだ。いま生きている世代が将来世代の利益を考慮せず、自分の利益だけを追求すれば、その尻拭いをさせられるのは、五〇年後、一〇〇年後の世界を生きる我々の子孫なのだから、本来、国家が真に守るべき「国民」とは、これら声なき人々を含めた「悠久の国民」のことなのである。

しかしながらそのような合理的な意思決定は、きわめて難しいのが現代の民主主義国家の現実だ。政治家は、選挙権を持つ現役世代の意見を尊重する。エネルギーにしても何にしても、将来世代の取り分を前倒しして使っているにもかかわらず、まだ生まれていない世代の「声なき声」は反映されない。人間は所詮、自分かかわいい生き物なので、政治が民主的なプロセスに寄れば寄るほど、自分たちに有利な結論を出しやすい。財政問題がその典型で、資源も含めて、将来世代から前借りしていると考えるとわかりやすい。民主主義国家では、放っておけば財政は膨張する。それへの歯止めがなかなかかからない。既得権を握っている上の世代が抵抗するからだ。これは日本だけの問題ではなく、先進国共通の現象である。

「ティーパーティ」と「ウォール街を占拠せよ」「最大多数の最大幸福」の原理をとるかぎり、多数派である上の世代がわざわざ自分たちの既得権を手放すはずがない。どうやっても多数派に勝てない状況では、行き場を失った政治的弱者は、右か左のそれぞれ両極に行くしかない。米国の場合、極端に右に行った結果が「ティーパーアイ(小さな政府を目指す草の根の保守運動)」で、逆に左に振れた人々が「ウォール街を占拠せよ」にな
った。両者の主張の中身は正反対に見えるかもしれないが、どちらも既得権益からこぼれ落ちた人たちが運動を担っている。三〇代以下の世代の低所得白人層(Lower White)だ。彼らは、中産階級的な仕事をアジアから入ってきたインテリに奪われ、ブルーカラー的な仕事を黒人やヒスパニック系と取り合うような構図にはまりがち。上と下からサンドイッチにされて、押し出された形になった層である。

米国大統領選挙に向けた共和党の予備選で、超保守的なリックーサントラムが予想外の活躍をしたのも、低所得の白人層が支持したからだ。ライバルのミットーロムニーはハーバードでMBAを取得した高学歴のインテリ大金持ちで、ベインキャピタルの創業者の一人。同じ共和党でも、タイプがまったく違う。イデオロギーとして右か左かというのは、現在はそれほど大きな意味を持たない。実際、両者(「ティーパーティ」と「ウォー・ル街を占拠せよ」)の主張はよく似ている。スーパーコンサバ(極端に右寄り)と、スーパーリベラル(極端に左寄り)は、左右に分かれていくと思わせておいて、グルッと円を描いて最後は反対側でくっついてしまう。日本で言えば、国民新党と社民党の主張が近くなるのと同じ構図だ。

若い世代は、オーソドックスな政策が自分たちの受け皿にはならないと気づいていて、右寄りの人はティーパーティに行くし、左寄りの人はウォール街を占拠する。職がなく、将来の展望が描けないにもかかわらず、自分たちは決して政治的に多数派にはなれない。三〇代以下の若い人には、そういう不満が相当積もってきているので、極端な方向に行かざるを得ないのだ。だから、最近のアメリカ大統領選挙で、共和党の頭痛の種はつねにティーパーティになっている。何かの間違いでサントラムが残ってしまうと、本選挙ではおそらく勝てない。右寄りすぎてヽ中道左派を取り込めないからだ。共和党支持者もそこはわかっていて、最後は「勝てる候補」ということで、ロムニーが指名されることになる。