2013年7月11日木曜日

柔軟な為替相場を求めた米国と中国の影

〇三年三月に就任した日銀の福井俊彦総裁は、不胎化か非不胎化かの議論に没入しなかった、と溝口。「いわば大人の対応で黙々とデフレ克服に邁進した」とみる。福井日銀は一年足らずのうちに、量的緩和の度合いの目安とされた日銀当座預金の目標を五回で十五兆円引き上げた。他方、財務省は〇三年一月から〇四年三月中旬までの間に約三十五兆円のドル買い介入を実施した。「米国当局は、この二つを合わせて、これは『部分的な非不胎化介入』であり、ブースマネーの供給拡大に役立ったと評価したのでした」と溝口は言う。当時、日銀副総裁だった岩田一政(現内閣府経済社会総合研究所所長)が近著『デフレとの闘い』で、同様な指摘をしている。日銀当座預金の目標引き上げ分については、「必ずしも不胎化する必要がなく、『非不胎化介入』が実施されたのと同じ効果が発生することになる」と認めているのだ。

かくてテーフーが「ザーグレートーインターベンション」と呼ぶ日本の大量介入は、日本のデフレ脱却を目指した日米当局の共同作戦となっていったのである。〇三年九月九日、パリ。日米とユーロ圏の「G3」の通貨担当者が集まった。その際に、テーラーは溝口に早急に介入からの「出口」を考えるよう提案した。日本の景気が回復に向かいだし、大量介入が不要になりだした。そんな判断もさることながら、〇三年九月二十日に予定されていたドバイでのG7会議が密接に関連していた。中国が「柔軟な為替相場に向けて動くことを、この時点で米国側は共同声明に盛り込もうと欲していた。「日本が大量介入を続けていては、そうした表現は盛り込みにくい」とテーラーは考えた。

〇三年九月十二日、パリからワシントンに戻ったテーラーは、溝口から重要な電話を受け取る。介入姿勢を緩める非公式の考えを伝えたうえで、溝口は次の三つの提案をした。①スノー財務長官は「日本は介入を最小限にとどめるべきだ」と発言するのをやめる。②日本は円相場をもっと柔軟にするが、市場が過度に振れたり行き過ぎたりした際には、依然として介入の必要がある。③ドルが一一〇円を下回った場合は、米国は可能な行動についての相談に乗る用意があると約束する。テーラーはスノーと相談した。③は約束できないが、①と②は合意する用意があると、スノーは言った。ホワイトハウスの経済顧問だったスティーブーフリードマンとグリーンスパンにも相談して、了解を得た。日本側も約束を守り、九月十二日以降、介入をやめた。

円は溝口が節目と考えていた一二〈円を突破し、九月十九日には一一四円まで上昇する。そして、九月二十日のドバイでのG7会議と共同声明。市場は円を狙い撃ちにし、円高・ドル安が進んだ。「大量介入戦略からの脱却は、我々が思ったより難しかったかもしれない」とテーラーは感じた。溝口ら日本側の思いも同じだった。閑話休題。「スナイパー(狙撃手)まで介入してきたか」。『ビッグコミック』掲載の人気劇画「ゴルゴ13」が、〇四年春に金融界の話題をさらった。〇三年九月に円相場が一ドル=一一五円を突破し、円高に弾みがつきつつある。その流れを阻止しようと、財務省は日銀に指示し大量の円売り介入に踏み切った。「プライスーキーピングーオペレーション(PKO)」と題する物語は、日銀による介入のシーンから始まる。

「二十年ぶりに『ゴルゴ13』を読んだ。今の立場を離れて読めば面白い」。〇四年三月十八日の参議院財務金融委員会で、当時の谷垣禎一財務相(現自民党総裁)は介入問題についての質問に、こんな感想をもらした。しばしば国際金融問題が登場する「ゴルゴ13」のなかでも、この作品はストーリーがいかにもリアルなのだ。イラク戦争の戦後処理に手間取り、支持率低下に悩むブッシュ米政権。雇用情勢が悪化し、産業界からもドル高修正の圧力が強まる一方で、ドル安が進めば米国から資本が逃げてゆく。綱渡りを続ける米国が頼みにできるのは、日本などアジアの介入資金だけである。「ダイス米大統領補佐官」(次ページ)と「ローズ選挙対策顧問」が、早朝のトレーニングジムで会話をする。そう、スタンフォード大学教授出身として描かれる「ダイス」は、コントリーザニフイス大統領補佐官(安全保障担当)。「ローズ」は、選挙参謀のカールーローブ大統領上級顧問である。