2013年7月6日土曜日

悲観論を真に受けた国民

評論家に限ったことではない。いつのまにか、多くの人が、未来に対して悲観的に語ったり、否定的な面ばかりに注意を向けたりしがちになっている。この社会には、希望がないと思い込んでしまっているようなところがある。この国の将来は暗いと決めつけてしまっている。だからといって、どうしようとするのでもなく、ただダメだと否定するのだ。これは、先ほどの認知療法の話を思い出していただければ、まさに、悲観的な認知のワナにはまった状態だと言えるのである。実は、これこそうつ病に特徴的なサインなのだ。私には、日本という国全体が、うつ病的な思考に取りつかれた兆候を見せているように思えてならない。

国民だけでなく、指導者や官僚も、うつに取りつかれたとしか思えないような、自己卑下的で、悲観的で、自らを既め、損なうような行動にさえ走ろうとしている。うつ病に典型的な症状に、貧困妄想と呼ばれるものがある。本当は、大金持ちなのに、すっかり貧乏して破産してしまうという妄想に取りつかれた状態である。日本は、指導者も国民も、この貧困妄想に取りつかれたとしか思えない状況に陥っている。貧困妄想のために、本当に貧しくなってしまうという愚かしいことも起きているのである。自分から「デプレッション」になった日本人。本当に、日本はそんなに貧しくて、破産寸前の国なのか。

実は、私自身も、調べてみる前は、かなり悲観的な見通しをもっていた。こうなってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。不可避な事態に直面しているだけなのだと、半ばあきらめていた。世間の風潮やマスコミの論調に、いつの間にか影響されていたのである。確かに、財政問題など、解決すべき課題はあるものの、日本経済はそこまで悲観する状況にはないのである。面白いことにも気づかされた。悲観的なことを言ってきたのは、主に日本人だけで、海外の学者は、日本の状況をむしろ胆貳そうに眺めてきたということだ。その心のうちを一言でいうと、日本人はなぜ自分で自分を貧しくしてしまったのかということである。言い換えると、日本人は自分から「デプレッション」に陥ったということになる。デプレッションには、うつ病という意味と、不況という両方の意味がある。

財政問題にしても、普通にやっていれば国が破産するリスクなど存在しないのである。それについては、後の章で述べる。失業率や円高同様、財政状況は、確かに良い状態とは言えないものの、また、そこには、ツケを先に回す、日本国民の意思決定能力や制度設計能力の欠如があるとはいえ、国家経済が三年後に破綻することはあり得ないのである。そうした物言いも、悲観的認知をばらまくのに一役買ってしまっている。良いとは言えない状況になってしまったのも、悲観的認知によるところが大きいのである。破産するとしたら、そう思い込んでしまうことによって、自分たちを自分たちでどんどん貧しくすることによってでしかない。実際のところ、今は日本にとって、願ってもないチャンスの時なのだ。今までの苦労が生かされるときであり、強く、真に豊かな国に生まれ変わる好機なのだ。それを、台なしにしてしまっては、日本が再起するチャンスは本当に失われてしまう。

ところがそうした悲観論を真に受けた国民は、ますます悲観的になり、日本の前途を危ぶんでいる。確かに政策ミスから始まったことではあるが、それを悪い方向に膨らませてしまっているのは、過度に悲観的で否定的な認知のワナなのである。その悪循環が、大した問題でなかった問題を、命取りになりかねない問題にし、大きな潜在成長力をもつ国を、本当にダメな国にしかけているのである。経済というのは、実態がどうかということも大事だが、それ以上に、人々の期待で動いていくところが大である。多くの人が良くなっていくと思えば本当によくなっていくし、悪くなっていくと思うと、本当に悪くなってしまう。破産するという思い込みに満ちて行動していれば、自信も信用も失って、本当に破産してしまう。ノーベル経済学賞受賞者のポールークルーグマンは、日本の九〇年代以降の状況について、次のように述べている。