2013年7月12日金曜日

最大多数の最大幸福

あの時代には、天然資源は無限にあり、人間の活動が地球環境に影響を及ぼすなど、誰も考えてもいなかった。原子力発電や遺伝子組み換えなど、人類の生存を左右するような技術が登場するのはまだ先で、だからこそ、人間もそこまで先の未来を見通す必要はなかった。だから、高エネルギー消費型の大量生産、大量消費社会に進んでいったのだ。つまるところ、世代を超えた問題というのは、いま生きている国民の最大多数の最大幸福を実現するだけでは不十分で、まだ生まれていない世代の「声なき声」が投票結果に反映されていなければ、合理的な意思決定とは言えないのだ。いま生きている世代が将来世代の利益を考慮せず、自分の利益だけを追求すれば、その尻拭いをさせられるのは、五〇年後、一〇〇年後の世界を生きる我々の子孫なのだから、本来、国家が真に守るべき「国民」とは、これら声なき人々を含めた「悠久の国民」のことなのである。

しかしながらそのような合理的な意思決定は、きわめて難しいのが現代の民主主義国家の現実だ。政治家は、選挙権を持つ現役世代の意見を尊重する。エネルギーにしても何にしても、将来世代の取り分を前倒しして使っているにもかかわらず、まだ生まれていない世代の「声なき声」は反映されない。人間は所詮、自分かかわいい生き物なので、政治が民主的なプロセスに寄れば寄るほど、自分たちに有利な結論を出しやすい。財政問題がその典型で、資源も含めて、将来世代から前借りしていると考えるとわかりやすい。民主主義国家では、放っておけば財政は膨張する。それへの歯止めがなかなかかからない。既得権を握っている上の世代が抵抗するからだ。これは日本だけの問題ではなく、先進国共通の現象である。

「ティーパーティ」と「ウォール街を占拠せよ」「最大多数の最大幸福」の原理をとるかぎり、多数派である上の世代がわざわざ自分たちの既得権を手放すはずがない。どうやっても多数派に勝てない状況では、行き場を失った政治的弱者は、右か左のそれぞれ両極に行くしかない。米国の場合、極端に右に行った結果が「ティーパーアイ(小さな政府を目指す草の根の保守運動)」で、逆に左に振れた人々が「ウォール街を占拠せよ」にな
った。両者の主張の中身は正反対に見えるかもしれないが、どちらも既得権益からこぼれ落ちた人たちが運動を担っている。三〇代以下の世代の低所得白人層(Lower White)だ。彼らは、中産階級的な仕事をアジアから入ってきたインテリに奪われ、ブルーカラー的な仕事を黒人やヒスパニック系と取り合うような構図にはまりがち。上と下からサンドイッチにされて、押し出された形になった層である。

米国大統領選挙に向けた共和党の予備選で、超保守的なリックーサントラムが予想外の活躍をしたのも、低所得の白人層が支持したからだ。ライバルのミットーロムニーはハーバードでMBAを取得した高学歴のインテリ大金持ちで、ベインキャピタルの創業者の一人。同じ共和党でも、タイプがまったく違う。イデオロギーとして右か左かというのは、現在はそれほど大きな意味を持たない。実際、両者(「ティーパーティ」と「ウォー・ル街を占拠せよ」)の主張はよく似ている。スーパーコンサバ(極端に右寄り)と、スーパーリベラル(極端に左寄り)は、左右に分かれていくと思わせておいて、グルッと円を描いて最後は反対側でくっついてしまう。日本で言えば、国民新党と社民党の主張が近くなるのと同じ構図だ。

若い世代は、オーソドックスな政策が自分たちの受け皿にはならないと気づいていて、右寄りの人はティーパーティに行くし、左寄りの人はウォール街を占拠する。職がなく、将来の展望が描けないにもかかわらず、自分たちは決して政治的に多数派にはなれない。三〇代以下の若い人には、そういう不満が相当積もってきているので、極端な方向に行かざるを得ないのだ。だから、最近のアメリカ大統領選挙で、共和党の頭痛の種はつねにティーパーティになっている。何かの間違いでサントラムが残ってしまうと、本選挙ではおそらく勝てない。右寄りすぎてヽ中道左派を取り込めないからだ。共和党支持者もそこはわかっていて、最後は「勝てる候補」ということで、ロムニーが指名されることになる。

2013年7月11日木曜日

柔軟な為替相場を求めた米国と中国の影

〇三年三月に就任した日銀の福井俊彦総裁は、不胎化か非不胎化かの議論に没入しなかった、と溝口。「いわば大人の対応で黙々とデフレ克服に邁進した」とみる。福井日銀は一年足らずのうちに、量的緩和の度合いの目安とされた日銀当座預金の目標を五回で十五兆円引き上げた。他方、財務省は〇三年一月から〇四年三月中旬までの間に約三十五兆円のドル買い介入を実施した。「米国当局は、この二つを合わせて、これは『部分的な非不胎化介入』であり、ブースマネーの供給拡大に役立ったと評価したのでした」と溝口は言う。当時、日銀副総裁だった岩田一政(現内閣府経済社会総合研究所所長)が近著『デフレとの闘い』で、同様な指摘をしている。日銀当座預金の目標引き上げ分については、「必ずしも不胎化する必要がなく、『非不胎化介入』が実施されたのと同じ効果が発生することになる」と認めているのだ。

かくてテーフーが「ザーグレートーインターベンション」と呼ぶ日本の大量介入は、日本のデフレ脱却を目指した日米当局の共同作戦となっていったのである。〇三年九月九日、パリ。日米とユーロ圏の「G3」の通貨担当者が集まった。その際に、テーラーは溝口に早急に介入からの「出口」を考えるよう提案した。日本の景気が回復に向かいだし、大量介入が不要になりだした。そんな判断もさることながら、〇三年九月二十日に予定されていたドバイでのG7会議が密接に関連していた。中国が「柔軟な為替相場に向けて動くことを、この時点で米国側は共同声明に盛り込もうと欲していた。「日本が大量介入を続けていては、そうした表現は盛り込みにくい」とテーラーは考えた。

〇三年九月十二日、パリからワシントンに戻ったテーラーは、溝口から重要な電話を受け取る。介入姿勢を緩める非公式の考えを伝えたうえで、溝口は次の三つの提案をした。①スノー財務長官は「日本は介入を最小限にとどめるべきだ」と発言するのをやめる。②日本は円相場をもっと柔軟にするが、市場が過度に振れたり行き過ぎたりした際には、依然として介入の必要がある。③ドルが一一〇円を下回った場合は、米国は可能な行動についての相談に乗る用意があると約束する。テーラーはスノーと相談した。③は約束できないが、①と②は合意する用意があると、スノーは言った。ホワイトハウスの経済顧問だったスティーブーフリードマンとグリーンスパンにも相談して、了解を得た。日本側も約束を守り、九月十二日以降、介入をやめた。

円は溝口が節目と考えていた一二〈円を突破し、九月十九日には一一四円まで上昇する。そして、九月二十日のドバイでのG7会議と共同声明。市場は円を狙い撃ちにし、円高・ドル安が進んだ。「大量介入戦略からの脱却は、我々が思ったより難しかったかもしれない」とテーラーは感じた。溝口ら日本側の思いも同じだった。閑話休題。「スナイパー(狙撃手)まで介入してきたか」。『ビッグコミック』掲載の人気劇画「ゴルゴ13」が、〇四年春に金融界の話題をさらった。〇三年九月に円相場が一ドル=一一五円を突破し、円高に弾みがつきつつある。その流れを阻止しようと、財務省は日銀に指示し大量の円売り介入に踏み切った。「プライスーキーピングーオペレーション(PKO)」と題する物語は、日銀による介入のシーンから始まる。

「二十年ぶりに『ゴルゴ13』を読んだ。今の立場を離れて読めば面白い」。〇四年三月十八日の参議院財務金融委員会で、当時の谷垣禎一財務相(現自民党総裁)は介入問題についての質問に、こんな感想をもらした。しばしば国際金融問題が登場する「ゴルゴ13」のなかでも、この作品はストーリーがいかにもリアルなのだ。イラク戦争の戦後処理に手間取り、支持率低下に悩むブッシュ米政権。雇用情勢が悪化し、産業界からもドル高修正の圧力が強まる一方で、ドル安が進めば米国から資本が逃げてゆく。綱渡りを続ける米国が頼みにできるのは、日本などアジアの介入資金だけである。「ダイス米大統領補佐官」(次ページ)と「ローズ選挙対策顧問」が、早朝のトレーニングジムで会話をする。そう、スタンフォード大学教授出身として描かれる「ダイス」は、コントリーザニフイス大統領補佐官(安全保障担当)。「ローズ」は、選挙参謀のカールーローブ大統領上級顧問である。

2013年7月10日水曜日

基軸通貨の機能

ミリオン札の発行が二〇〇〇年、ビリオン札は〇二年、トリリオン札〇六年ときて、ズリオン札は〇九年だから、オバマ政権が一期目を終える一三年初めまでにはガズリオン札がニューヨークの土産物店で売られだすかも知れない。問題はそれまでに米国の財政が信認を失わずに済むかどうかだ。〇八年九月のリーマンーショツク後の世界金融危機を一九三〇年代型の大不況にしないために、大規模に実施した財政政策が、今度はソブリンーリスク(政府債務の信認危機)を招く。一〇年春にギリシヤに始まった財政赤字に焦点を当てた欧州の金融動乱は、最終的には米国の財政問題を揺さぶる可能性をはらむ。もっとも、国際通貨という観点でみれば、ユーロが信認危機に見舞われたことで、一〇年半ばの時点ではドルが持ち直している。こうみると根っこにある問題は、財政赤字の膨らむ米国のドルを基軸通貨として仰がねばならない、世界の金融システムのあり方ということになる。

『経済辞典』(有斐閣)によれば、基軸通貨(key currency)とは国際通貨(internationalcurrency)のことで、「国際間の決済に広く使用される通貨」、「各国は対外支払準備として金と並んで国際通貨を保有するので準備通貨ともいわれる」とある。これでは、定義をもって定義に換えたようなものだろう。ここでは、日経文庫所収の『国際通貨の知識』(石山嘉英)の説明を借りることにしよう。通貨とはおカネのことであり、①モノの値段がいくらかという価値の基準であり、②モノを売買するときに使う媒介の手段であり、③経済的な価値を蓄えておく手段である。①の役割を価値基準または価値表示機能、②を支払い手段または媒介機能、③を価値保蔵機能という。

まず、価値表示機能というのは、対外取引の単位になることで、ドル建て、円建てという取引の際の通貨表示をいう。原油取引がドル建てであるというのは、表示通貨としての機能を示している。医療品一千万ドル相当という場合も同じである。次に、支払い通貨というのは、外国の取引相手が受け取る通貨を指す。人気劇画の主人公ゴルゴ13が狙撃請負契約の代金をドルで受け取り、銃の購入をドルで行うのは、支払い通貨としてのドルの重要な役割を示している。そして、価値保蔵機能とは、資産を保有する際に、どの通貨で保有するかだ。通常、外貨を保有する場合、利息を生まない現金で持っていることはない。取引に必要な金額以上は、短期証券や定期預金のような利息を生む金融資産の形で保有する。その意味で、国際通貨となるには、層の厚い金融市場が必要となる。

以上は、企業や銀行、投資家など民間部門にとって、国際通貨が果たす役割だが、政府や中央銀行など公的当局にとっての国際通貨の役割とは何か。まず、価値表示機能としては、固定相場制の下で、自国通貨を固定する際に用いられる。例えば、自国通貨である人民元をドルと連動させてきた中国は、人民元について基準相場を定めている。香港ドルを米ドルに固定している香港の場合も同様だ。次に、公的当局にとっての支払い通貨としては、介入の手段としての役割が大きい。日本を例にとれば、円高・ドル安の加速を防ぐために、政府・日銀はしばしば円売り・ドル買い介入を行ってきた。介入の対象となる通貨を介入通貨というが、日本の場合は圧倒的にドルが介入通貨となっている。

さらに、公的当局にとっての価値保蔵機能を果たすのが、準備通貨である。準備(reserve)というのは、経常収支が赤字になり、外為市場で外貨が不足するとき、通貨当局がその不足分を供給するために使われる。「いざという際の準備」という意味だ。円売り・ドル買い介入をすれば、ドル建ての外貨準備が積み上がるという具合に、介入と外貨準備は表裏の関係にある。日本の場合、外貨準備は圧倒的にドル建てで、運用資産も米政府証券が中心である。その意味で、日本はドルの基軸通貨体制を補完している。基軸通貨は、十九世紀から第一次世界大戦までは大英帝国を擁する英国のポンドだった。第一次大戦で英国は国力をすり減らし、一九三〇年代の大不況期に基軸通貨の大空位時代を経て、第二次大戦後は超大国である米国のドルが基軸通貨になった。


2013年7月9日火曜日

拡大する外国為替証拠金取引

人は役者、世界は舞台。こんなシェークスピアの言葉を借りれば、ディーラーは役者、外為市場は舞台ということになる。異なる通貨をやりとりし合う外為市場の参加者は、広い意味では銀行のほか、メーカー、商社、生命保険会社、証券会社、そして外貨預金を行い、夏休みのハワイ旅行の準備のために円をドルに換える個人も含む。だがディーラーたちの鉄火場は、金融機関と為替ブローカー(仲介業者)を中心とするインターバンク(銀行間)市場である。インターバンク市場は、為替の卸売市場だ。テレビで「本日の円相場は」と言っているのは、卸売価格に当たるインターバンク相場。円のインターバンク相場が一ドル=九〇円とすると、銀行の窓口で我々がドルを円に換えるときの相場(対顧客電信売相場)は一ドル=八九円、反対に円をドルに換えるときの相場(対顧客電信買相場)は一ドル=九一円となる。米ドル、ユーロ、カナダドルから中国人民元、ブラジルレアルまで三十一通貨の円に対する対顧客電信売相場は『日本経済新聞』朝刊の「マーケット総合面」に載っている。

対顧客相場は、顧客に対する小売価格だ。対顧客相場との間で、銀行はインターバンク相場を基に、円・ドル相場だと上下一円ずつ手数料を得ているのである。卸売のインターバンク市場で相場変動リスクを負う見返りが、手数料となっている。魚や野菜の卸売価格と小売価格を思い出せば、その仕組みは理解できるだろう。もっとも、九八年四月に「外国為替及び外国貿易法」が改正されたのを機に、国内では誰でも外為業務が自由にできるようになった。それまでは、旧外為法に基づき大蔵大臣(現財務大臣)の認可を受けた外国為替公認銀行を通さずには、卸売市場に入れなかった。今やインターバンク市場は木戸ご免(自由参入可能)なのである。

ただし、メーカーなどが続々とインターバンク市場に参入しているかというと、さにあらず。インターバンク市場のディーラーたちは、「売り」「買い」双方の相場を唱えなければならないからだ。通常は十銭単位で相場(気配という)を唱え、一円以上の単位は省く。例えば「一〇、二〇」といえば、一ドル=九〇円一〇銭でドル買い、九〇円二〇銭でドル売りを希望するという意味だ。外為市場では、円を対価にドルという商品を売買する形をとるので、ドルの買い気配を「ビット=買い」、売り気配を「オファー=売り」とディーラーは「ビット」と「オファー」を二本立てにする結果、ドルを買おうと思っていても、相場が大きく動いた場合には、意に反してドルを売らされる羽目になりかねない。この点はトランプの「親」と同じであり、インターバンク取引ではもうけと損失は隣り合わせなのである。

普通、企業はこうしたリスクは負いきれないので、九八年の改正外為法施行後も、インターバンク市場は銀行が主役なのである。とはいえ、年間一兆円以上の儲け(純利益)を稼いでいたトヨタ自動車などの大手メーカー
や、大口の株式、為替取引を繰り返すヘッジファンドなどの方が、為替相場に対する影響が大きくなっているのは確かである。そうした人目顧客に対して、銀行が売りと買いで一円ずつ手数料を求めるとすれば、「おとといおいで」と言われるだけだろう。銀行は大口顧客に対しては、ほとんど手数料を乗せずに、インターバンク相場そのものを提示していることが多い。企業が取引金融機関を絞り込むなかで、対顧客取引の綱引きは企業な
ど大口顧客優位となっている。

その分、銀行は個人に対する為替取引で、手数料を確保しようとしている。銀行の外貨預金と、証券会社の金融商品である外貨建て投資信託を比べてみると、一目瞭然だ。外貨建て投信の利回りの設定が外貨預金より高いばかりでなく、為替手数料は銀行の方が証券会社に比べて二倍から四倍割高となっている。銀行は既存の為替業務に胡坐をかいて、新規ビジネスの発掘をたっている。そう言われてもやむをえないだろう。価格比較サイトには、各行の為替手数料比較も載っているだけに、大手行にも価格競争の波が押し寄せようとしている。外貨建て資産の運用がブームとなるなか、新外為法施行に伴う外為市場の地殻変動は、徐々に個人にも及び始めている。その先端を行くのは、少ない証拠金で為替を売買する「外国為替証拠金取引」かもしれない。

2013年7月8日月曜日

リフレーション政策は失業率を下げる

すでに一九二八年末から、スウェーデンの消費者物価指数は緩やかに下降を始めており、卸売物価指数は、急激に下がっていた。その背景にあったのが金本位制の呪縛で、デフレと通貨高が起きていたのである。そこに、恐慌が押し寄せる。一九二九年から一九三一年の間に、鉱工業生産は21%も下落し、失業率は跳ね上がった。これに対してスウェーデン財務省は、一九三一年金本位制からの離脱を宣言するとともに、物価水準の目標を掲げて、それに誘導しようとした。消費者物価指数は、一九三二年から三三年に下落が見られたものの、その後上昇し、また、卸売物価指数は、一九三一年以降下落が止まり、しばらく横ばいを続けた後、一九三三年春から上昇に転じた。一九三三年春には30%にも達した失業率は、そこから下降し始め、一九三七年には半分にまで下がった。鉱工業生産も、一九三三年末には、大恐慌前の水準を回復し、一九三四年末には、さらに28%も増加したのである。

デフレに対して有効な対策が採られなかったアメリカでは、一九三二年には、鉱工業生産が、ピーク時の半分にまで落ち込み、恐慌前の水準を回復するのに、一九三六年までかかったのとは対照的である。スウェーデンのケースは、デフレ下の不況では、インフレ・ターゲットにより積極的にインフレに誘導する政策が有効であることを示している。産業基盤自体が弱ってしまわないうちに、デフレから脱出したことで、急速な経済の回復を認めたのである。フリードマンが言うように、失業率が、インフレ率ではなく期待インフレ率に左右されるのは事実だろう。だが、それは、失業率とインフレ率がまったく無関係な動きをするということではない。グラフは主要先進国全体における、一九八〇年以降三十年間のインフレ率と失業率の変動をみたものである(IMFデータを使用)。

インフレ率と失業率が、トレードーオフの関係で逆の動きをしていることがわかる。オイルショックといったインフレ率を激変させてしまう要因やグローバル化の影響を取り除けば、フィリップ曲線は健在なのである。実際、後期のサッチャー政権が示したように、インフレ率を上げるリフレーション政策は、失業率を下げるのに有効であった。ましてや、期待インフレ率がマイナスのデフレ状況を放置してよいという理由は見当たらない。当時のイギリスのように、10%を超えるインフレ率であれば、それ以上にインフレが進行することは避けねばならないが、日本の場合は、ずっとデフレ、つまりマイナスのインフレが続いてきたのである。その状況では、インフレの心配をする必要はほとんどなかったわけだから、躊躇なく期待インフレ率を高める政策をとるべきだったのである。それは、デフレと雇用問題を一挙に改善できる、まさに打ってつけの政策なのである。

アメリカはどうやって大恐慌から抜け出したか一方、アメリカは、大恐慌後のデフレ不況からどのように脱出したのだろうか。大恐慌におけるアメリカ財政金融当局の当初の対応は、甚だしい失敗例として知られているが、それは日本に起きたことと共通する点がある。大恐慌は、日本のバブル崩壊やアメリカのサブプライムーショツクと似て、株の暴落を機に、住宅投資バブルが弾けたことが背景にあった。破産するものが続出し、銀行も次々と潰れた。資産デフレとクレジットークランチが急速に広がったのである。当時のアメリカには、預金を保護する仕組みもなかったため、信用不安の拡大は留まるところを知らなかった。

ところが、そうした中で、財政当局は、税収減少による財政赤字の方を心配し、こともあろうに増税や財政支出の削減を行ったのである。そのため、さらに、消費や投資の低下を招いた。金融当局も、マネーサプライが四年間で25%も減ってしまっても、何ら有効な手立てがとれなかった。一九三三年、ルーズベルト大統領が就任すると、有名なニューディール政策に着手する。しかし、公共投資の規模はそれほど大きくなく、政府購人でみると、一九三三年は前年比で微増にとどまり、一九三四年に、ようやく一割程度増加(実質レベル)しているが、GDP比でみると、政府支出の割合は15%台で、その増加幅は1%程度に過ぎない。一九三五年には、さらに全国規模に公共投資が拡大し、軍事予算の増加もあって、一九三六年には、一段と政府支出が増加していたが、それでも、GDP比でみると、ほとんど変わっていない。一九三三年を底に、個人消費や民間投資が回復しつつあったが、一九三八年には、再び停滞し不況色が強まった。

2013年7月6日土曜日

悲観論を真に受けた国民

評論家に限ったことではない。いつのまにか、多くの人が、未来に対して悲観的に語ったり、否定的な面ばかりに注意を向けたりしがちになっている。この社会には、希望がないと思い込んでしまっているようなところがある。この国の将来は暗いと決めつけてしまっている。だからといって、どうしようとするのでもなく、ただダメだと否定するのだ。これは、先ほどの認知療法の話を思い出していただければ、まさに、悲観的な認知のワナにはまった状態だと言えるのである。実は、これこそうつ病に特徴的なサインなのだ。私には、日本という国全体が、うつ病的な思考に取りつかれた兆候を見せているように思えてならない。

国民だけでなく、指導者や官僚も、うつに取りつかれたとしか思えないような、自己卑下的で、悲観的で、自らを既め、損なうような行動にさえ走ろうとしている。うつ病に典型的な症状に、貧困妄想と呼ばれるものがある。本当は、大金持ちなのに、すっかり貧乏して破産してしまうという妄想に取りつかれた状態である。日本は、指導者も国民も、この貧困妄想に取りつかれたとしか思えない状況に陥っている。貧困妄想のために、本当に貧しくなってしまうという愚かしいことも起きているのである。自分から「デプレッション」になった日本人。本当に、日本はそんなに貧しくて、破産寸前の国なのか。

実は、私自身も、調べてみる前は、かなり悲観的な見通しをもっていた。こうなってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。不可避な事態に直面しているだけなのだと、半ばあきらめていた。世間の風潮やマスコミの論調に、いつの間にか影響されていたのである。確かに、財政問題など、解決すべき課題はあるものの、日本経済はそこまで悲観する状況にはないのである。面白いことにも気づかされた。悲観的なことを言ってきたのは、主に日本人だけで、海外の学者は、日本の状況をむしろ胆貳そうに眺めてきたということだ。その心のうちを一言でいうと、日本人はなぜ自分で自分を貧しくしてしまったのかということである。言い換えると、日本人は自分から「デプレッション」に陥ったということになる。デプレッションには、うつ病という意味と、不況という両方の意味がある。

財政問題にしても、普通にやっていれば国が破産するリスクなど存在しないのである。それについては、後の章で述べる。失業率や円高同様、財政状況は、確かに良い状態とは言えないものの、また、そこには、ツケを先に回す、日本国民の意思決定能力や制度設計能力の欠如があるとはいえ、国家経済が三年後に破綻することはあり得ないのである。そうした物言いも、悲観的認知をばらまくのに一役買ってしまっている。良いとは言えない状況になってしまったのも、悲観的認知によるところが大きいのである。破産するとしたら、そう思い込んでしまうことによって、自分たちを自分たちでどんどん貧しくすることによってでしかない。実際のところ、今は日本にとって、願ってもないチャンスの時なのだ。今までの苦労が生かされるときであり、強く、真に豊かな国に生まれ変わる好機なのだ。それを、台なしにしてしまっては、日本が再起するチャンスは本当に失われてしまう。

ところがそうした悲観論を真に受けた国民は、ますます悲観的になり、日本の前途を危ぶんでいる。確かに政策ミスから始まったことではあるが、それを悪い方向に膨らませてしまっているのは、過度に悲観的で否定的な認知のワナなのである。その悪循環が、大した問題でなかった問題を、命取りになりかねない問題にし、大きな潜在成長力をもつ国を、本当にダメな国にしかけているのである。経済というのは、実態がどうかということも大事だが、それ以上に、人々の期待で動いていくところが大である。多くの人が良くなっていくと思えば本当によくなっていくし、悪くなっていくと思うと、本当に悪くなってしまう。破産するという思い込みに満ちて行動していれば、自信も信用も失って、本当に破産してしまう。ノーベル経済学賞受賞者のポールークルーグマンは、日本の九〇年代以降の状況について、次のように述べている。