2014年7月12日土曜日

多角的な視点をもつ現代の生活水準論

一九二六(大正十五)年に内閣統計局が七千二百二十世帯の家計調査を実施し、今日の家計調査や消費実態調査にひきつがれているが、これらの調査は、国民の生活を豊かにするための政策に活かされることはなく、富国強兵政策の戦時中の米穀統制に利用されたり、消費者物価指数作成のための手段に使われたりしている。それにくらべれば、今日の国民生活白書は、年度によって重点のおきかたは異なるものの、政府の統計調査等をデータとして使いながら、家計の所得、消費、雇用、資産、住宅、学歴、老人問題、社会資本など、生活を全体的に包括した分析を行っている。

右のような視点とは別の角度から、人間らしい生活水準のミニマムとでもいうべきものを提出しだのが、労働科学研究所の『日本の生活水準』(一九六〇)であった。そこでは、生活費の金額によって貧富を判断しようとするのではなく、人間を基準として、体格、体力、健康状態、栄養状態、知能、住居、衣服、文化的生活などが、生活費が多くなるにつれて、どこまで向上するかを測定した。

そして、生活費をそれ以上多くしても生活水準はそれに伴って向上せず、そこからは平坦化してしまう、という点を捉えて、それをあるべき生活費と考えたのであった。その最初の試みは、一九五二年、厚生省が労働科学研究所に委託して作った『最低賃金あるいは社会保障の給付基準を決定する場合の基礎資料』で行われ、その後、物価の変動に伴って修正されている。

この研究は、人びとの心身が良好な状態にあり、その人の持つ能力を発揮できるような、人間らしい生活のためには、いくら生活費があればよいか、を算定しようとした画期的な試みであった。この研究を行った藤本武氏は、文化的レベルをこのような方法で算定することの難しさをのべているが、それにしても、人間の心身の良好な状態や活動を基準にして、あるべき生活費を考える、という方法は、コマーシャルにあやつられて購買意欲をかき立てられる無限の消費に対して、消費の量的限界効用を示したものとも解釈することができる。

さらに、生活水準を、消費支出の金額でみるのではなく、「人びとの欲望を満足させる程度」でみようとしたのが、国連社会開発研究所の「生活水準指標」であった。その方法は、まず福祉の対象となるものを選び、それがどの程度充足されているかを、教育、余暇、労働、健康、住生活、連帯などの項目別に分けて評価し、総合的に福祉水準を算定するものである。