2014年5月23日金曜日

統一コストの重圧

通貨同盟が九〇年七月から先行実施に移されたが、コール政権やフラソクフルト金融界は東独径済の再建と統一ドイツの先行きについては、終始楽観論を展開していた。これはどの繁栄を誇っている西独の経済力と、それを背景にした最強通貨マルクをもってすれば、東独経済の復興などは失敗するはずがないといった、自信に満ち溢れたものであった。だが、初期の頃のこうした自信は過信でしかなかった。すぐこの後に続いたのは強い落胆と失望であった。

東独の経済改革は通貨同盟の実施にかかおりなく、早晩、避けては通れないものであった。そして、復興が軌道に乗るまでの数年間は、産業構造の抜本的調整や付随する失業増大は十分に予想のつくことであった。だが、通貨同盟を先行実施するとともに、通貨の交換レートを相当に大幅な割高水準で設定したため、東独経済に及ぼしたデフレ的インパクトはすさまじいものとなった。

東独経済は実体的に壊滅状態に転落するほかはなかった。割高な交換レートは東独企業の競争力を根底から削ぎ、対西独はおろか、旧共産圏貿易においても一気に競争力の喪失に見舞われた。そして、東独の製造業生産は、通貨同盟が始まってからわずか一年後の九一年夏には、六~七割に及ぶ未曾有の後退となった。また、中・長期的視野に立った経済復興を期待する上でのメルクマールとして海外からの直接投資、が注目された。だが、東独地域での不動産所有権をめぐる法的不確実性、工場立地における環境汚染問題と改良のためのコスト負担の巨額化、企業の・債務超過問題などから、外国による東独地域への直接投資は皆無のままであった。

失業者も激増した。九〇年六月の通貨同盟発足前は、失業者は皆無であった。だが、わずか一年後の九一年六月には実体的失業者は二○○万人から四○○万人にも達しかと推測される。人口が約ハ○○万人、このうち労働力人目が約半数の八〇〇万人とみれば、失業率は一気に五割にも達したことになる。また生産の著しい減少と生産性の悪化は、東西ドイツ開における賃金格差の是正が容易ではないことを露呈させた。この窮境下では人心は荒廃し、無気力化を招く。西独サイドへの人口流出が続いた。東独地域の経済的・社会 的基盤が、根底から崩壊したのである。

2014年5月3日土曜日

感傷過多症の泣き

帰国して、もしできるものなら、あの知人、あの友人と会いたいものだ、と戦前親しくしていたいくつかの顔を思い浮かべた。その一人、菊岡久利さんの所在を知ったときには、鉄砲玉のように飛んで行った。菊岡さんは、戦前、私がルンペンをやっていたとき、なにかと世話になった先輩であった。菊岡さんは、銀座で惣菜屋を作り、若い者の職場にしていた。若い者に食う場所を与えるために作った店だ、と私は思った。生活合作社という看板がかかっていた。中国から移入したネーミングであった。

その生活合作社に行って、菊岡さんの顔を見たら、顔を見ただけで、涙が出てとまらなかった。菊岡さんはそういう私に、なんの反応も示さず、何も言わなかった。あれも、安堵に自己憐欄の混じった、そして感傷過多症の泣き。だったのだろう。私は、父も母も、前記の妹も。肉親の死に目に会えないでしまった。だから、臨終の場で、あるいは遺体のそばで涙を流したということはない。

母が死んだのは戦前で、母が死んだときには私は訃報をきいて、東京から朝鮮新義州の生家まで帰ったが、着いたときには、母は御骨になっていた。妹と父は、私か兵士をやらされていたときに死んだので、やはり、遺骨と対面するしかなかった。戦後は、菊岡さんに会って泣いて以後の泣きの追憶は、岸田國士先生が亡くなった朝のことがあるだけだ。

文学座の、明日が初日の「どん底」の舞台稽古中、演出をしていた岸田先生は、劇場で倒れ、救急車で東大病院に運ばれた。私は劇場から病室まで先生に付き添って、その夜の明け方、東大病院から駒込の自宅まで、雪の中を歩いて帰り、二時間ほど仮眠をして再び先生の病室を訪ねたのであったが、私の着く前に先生は亡くなった。あのときの経緯や私の思いについては、「岸田國士と私」と題する著作に書いたか、菊岡さんとの再会の後泣いたのは、あのときだけである。あれは、妹の病室から京城駅までの泣きと同質の泣きであろう。

そのほかにも、おそらく泣いたことがあるはずだが、他の泣きは思い出せない。ただ、オイオイ泣き、ボロボロ泣きではなく、こっそり、メソメソしたことはある。数年前、妻が子宮癌で、摘出の手術をうけた。あのときは、病室から自宅にもどると、私はメソメソした気持でいた。それとも、半泣きであったと言うべきか。幸い、妻は回復し、再び琴彦相和すところのない付合いを続けているが、私は自分が泣いたことについては、この半泣きも含めて、七十年間に七つしか思い出せない。まったく人というものは、他人の痛みは、何年でも我慢できるが、自分のこととなると、すぐメソメソするものだ。