陪審制が民事の領域にも実現すれば、一般市民の感覚が法律制度の運営に反映されることになるのです。そうすれば、裁判官による裁判も大いに刺激を受けることでしょう。現在の制度では、そういう刺激を受ける機会かおりません。
陪審制によって、裁判官と一般人との風通しが良くなります。そのために、アメリカの法律は非常に大きな変革を遂げてきたという面があります。例えば、PL(製造物)責任で無過失責任が定着したことや、懲罰的賠償が定着したことも、陪審制の運用によるところが多分にあります。
アメリカは国家の運営が相当難しい多民族国家でありながら、バックボーンとしての市民社会のインフラがしっかりと備わっているように思うのです。少なくとも、さまざまな不合理や不正には堂々とチャレンジできるルートが開かれています。そこが日本などよりも進んでいるし、見習うべきところではないかと思うのです。
法律家が自分たちだけで裁判制度を運営すると、法律制度そのものがダイナミックな動きになりません。逆にいうなら、一般の人たちが民事裁判においても判断権者として訴訟手続に参加し、その結論が法律関係業界の人々の収入にも関係してくるということになれば、司法を運営する法律専門家も、うかうかしてはいられません。
それこそベールに包まれた中で「仕事のクオリティー」に関係なしに権威が保たれる、というわけにもいかなくなるでしょう。司法の権威を保つには、それに見合ったしっかりとした仕事をせざるを得ないということになります。
2014年11月19日水曜日
2014年10月18日土曜日
円高対応という守りの選択
このような現実を迎えなければならなかったのか。円高対応という守りの選択ではあったが、対アジアの直接投資は、本来は円圏成立のための基礎的条件を醸成するはずであった。ところが、アジアが実質ドル圏であるために、日本の投資はかえって日本経済をドル圏に深く組み入れる結果となっている。
ここで想起されるのが、80年代、マレーシアのマハティール首相が提唱したEAEC(East Asian Economic Caucus)構想である。この「束アジア経済協力体」構想は、当時、アジアにおける円経済圏への展望を示したものとして注目された。
こうした動きが実を結んでいれば、EAECの域内では、97年のような危機は回避され、円基軸の安定した投融資の恩恵を日本も域内国も、ともに享受できたはずである。また、そうした円経済圏を背景としてはじめて、日本は円の対ドル・レートを相対的に安定させ、世界最大の債権国としての本来的な対外投資を継続することができたのではないかと思われる。
しかし、この構想は、日本がASEANとアメリカの板挟みにあうなかで頓挫した。円経済圏の創出は、アメリカの死活的利害に関わるため、べー力ー国務長官が宮澤首相に強力な圧力をかけてこれを断念させたのである。
EAECは太平洋を分断する、APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)こそが双方の利益にかなう、これが一貫したアメリカの立場であった。APECは、もともと日本の通産省がオーストラリアと組んで実現したものだが、すでにアメリカのコントロール下にある。
ここで想起されるのが、80年代、マレーシアのマハティール首相が提唱したEAEC(East Asian Economic Caucus)構想である。この「束アジア経済協力体」構想は、当時、アジアにおける円経済圏への展望を示したものとして注目された。
こうした動きが実を結んでいれば、EAECの域内では、97年のような危機は回避され、円基軸の安定した投融資の恩恵を日本も域内国も、ともに享受できたはずである。また、そうした円経済圏を背景としてはじめて、日本は円の対ドル・レートを相対的に安定させ、世界最大の債権国としての本来的な対外投資を継続することができたのではないかと思われる。
しかし、この構想は、日本がASEANとアメリカの板挟みにあうなかで頓挫した。円経済圏の創出は、アメリカの死活的利害に関わるため、べー力ー国務長官が宮澤首相に強力な圧力をかけてこれを断念させたのである。
EAECは太平洋を分断する、APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)こそが双方の利益にかなう、これが一貫したアメリカの立場であった。APECは、もともと日本の通産省がオーストラリアと組んで実現したものだが、すでにアメリカのコントロール下にある。
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