机の上にその書類が一枚だけあったとしても、ハンコを押さず何日でも放っておく。後で問題が生じ責任をかぶるようになりはしないかと恐れるのである。その国務院官僚が国有企業に粗放型経営を改めよと、改革を指示したところで、相手がそれを承知するとは考えられない。国務院機構を根本的に改造しなければ、国有企業の改革が満足に進むはずがなかったのである。李鵬は原則を述べたが、原則だけでは壁を破ることは出来ない。全国人民代表大会に集まってきた政治家たちにも、改革の最後の壁の所在は十分に分かっていたのだろう。それだけの根回しも、長い期間をかけて、やってきたのだろう。しかし、たぶんにカリスマ的にことを運ばなければ、騒ぎが起こることは避けられない。その人は朱鎔基をおいてなかったのであろう。
国務院の一五の部と委員会が廃止され、四つの部と委員会が新設され、三つの部と委員会が改称され、二二の部、委員会、銀行、署が存続することが決定された。現業管理部門は、行政と経営の分離を実行し、企業を直接に管理しないことが再確認された。ただし石油、天然ガス、石油製品、石炭、自動車の五品目の生産・供給計画については、政府が直接に関与する。職務の集中化にともない、定員は半分に減った。余った人員は企業や地方機関などに分散させられるが、それには三年かかるという。朱鎔基は紡績産業をはじめとする、全産業にわだってのスクラップーアンドービルドの実行の責任も背負ったのである。その改革のために、実質失業人口は一一〇〇万人から一三〇〇万人に及び、失業率は六ないし七%となり、建国以来五〇年間での最高を記録している。中国国民の物質生活は、一方では、二十年余りの平和な時代の経済発展によって、いちじるしく近代化し豊かになった。
2015年3月19日木曜日
2015年2月19日木曜日
流入する外国人労働者
外国人労働者の流人も大きな問題になってきている。正規のビザを持つ労働者は、87年で2万5千人程度だが、不法就労者は10万人にも達するといわれている。円高以後は建設現場の土木作業員、飲食業の皿洗いなどの単純労働での就業者が急増している。とくに東南アジア諸国からの流入が目立つ。
確かに、最近の東京では地ド鉄や電車に乗ると、回りに外国人を見かけることが多くなった。マイホームの工事現場で大工さんに話しかけてみたがどうも話が通じない、それもそのはずで日本人ではなかったという話とか、大工の棟梁が大学の教授に、「大学の先生は日本語で仕事ができるからうらやましい」といったという話もある。
こうなるのは経済的には当然のことである。供給側から見ると、日本の賃金が世界一だということは、日本に行って働けば世界一の所得を稼ぎ出すことができるということに他ならない。例えば、「エコノミスト」誌の試算だと、東京の賃令はハンコックの五倍以上となっている。
自分の国では想像もできないような高額の賃金を稼ぎ出すことができるのだから、日本にあこかれるのも当然である。もっとも東京で仕事をすると、東京で生活しなければならず、かなり生活費が高くなることを考えると、外から見た日本の高賃金も額面どおりは受けとれない面もある。
次に需要側から見ると、目本の企業にとっては円高により海外の労働者をきわめて安く使えるようになった。今ではできれば外国人労働者を雇いたいという企業がずいぶん増えている。89年10月に行なわれた経済企画庁のアンケート調査によると、約三分の一の企業が「外国人雇用に対して、職種に制限をつける必要はない」と答えている。
また、現在外国人を雇用している企業は全体の62.7%に達しており、それ以外の企業でも21.9%が今後外国人を雇用する意向があるとしている。日本では。技能労働者の受け入れは認められているが、単純労働者は原則として受け入れていない。
就労を目的として日本に入国が認められているのは、外資系の企業管理者、大学教授、興業活動者、高度な技術提供者、外国料理の料理人などの熟練労働者、外国語教師といった人々に限られている。
この問題は経済原則だけで割り切るわけにはいかない問題であり、だからこそむずかしい対応を迫られている。
西欧でも人出不足への対応策として外国人労働者に頼る時代があったが、それが失業者のハードコアになってしまったり、受け入れ国で生まれた第二世代の帰る国がなくなったり、異文化同士の摩擦が生じたりといった問題が出ている。外国人労働者の受け入れについては、国民的レベルでの相当の覚悟が必要である。
しかし、前述のような経済原則から見ると、外国人労働力が日本の労働市場に参入してくるのは逆らうことのできない流れであるようにみえる。経済の大きな流れに逆らった政策・制度は長続きしないというのがこれまでの経験の教えるところである。
長期的にみると、既存の制度・慣行によって経済原則がおめられるよりは、経済原則に従って既存の制度・慣行が改められていく可能性が高いと思われる。
確かに、最近の東京では地ド鉄や電車に乗ると、回りに外国人を見かけることが多くなった。マイホームの工事現場で大工さんに話しかけてみたがどうも話が通じない、それもそのはずで日本人ではなかったという話とか、大工の棟梁が大学の教授に、「大学の先生は日本語で仕事ができるからうらやましい」といったという話もある。
こうなるのは経済的には当然のことである。供給側から見ると、日本の賃金が世界一だということは、日本に行って働けば世界一の所得を稼ぎ出すことができるということに他ならない。例えば、「エコノミスト」誌の試算だと、東京の賃令はハンコックの五倍以上となっている。
自分の国では想像もできないような高額の賃金を稼ぎ出すことができるのだから、日本にあこかれるのも当然である。もっとも東京で仕事をすると、東京で生活しなければならず、かなり生活費が高くなることを考えると、外から見た日本の高賃金も額面どおりは受けとれない面もある。
次に需要側から見ると、目本の企業にとっては円高により海外の労働者をきわめて安く使えるようになった。今ではできれば外国人労働者を雇いたいという企業がずいぶん増えている。89年10月に行なわれた経済企画庁のアンケート調査によると、約三分の一の企業が「外国人雇用に対して、職種に制限をつける必要はない」と答えている。
また、現在外国人を雇用している企業は全体の62.7%に達しており、それ以外の企業でも21.9%が今後外国人を雇用する意向があるとしている。日本では。技能労働者の受け入れは認められているが、単純労働者は原則として受け入れていない。
就労を目的として日本に入国が認められているのは、外資系の企業管理者、大学教授、興業活動者、高度な技術提供者、外国料理の料理人などの熟練労働者、外国語教師といった人々に限られている。
この問題は経済原則だけで割り切るわけにはいかない問題であり、だからこそむずかしい対応を迫られている。
西欧でも人出不足への対応策として外国人労働者に頼る時代があったが、それが失業者のハードコアになってしまったり、受け入れ国で生まれた第二世代の帰る国がなくなったり、異文化同士の摩擦が生じたりといった問題が出ている。外国人労働者の受け入れについては、国民的レベルでの相当の覚悟が必要である。
しかし、前述のような経済原則から見ると、外国人労働力が日本の労働市場に参入してくるのは逆らうことのできない流れであるようにみえる。経済の大きな流れに逆らった政策・制度は長続きしないというのがこれまでの経験の教えるところである。
長期的にみると、既存の制度・慣行によって経済原則がおめられるよりは、経済原則に従って既存の制度・慣行が改められていく可能性が高いと思われる。
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