すでに一九二八年末から、スウェーデンの消費者物価指数は緩やかに下降を始めており、卸売物価指数は、急激に下がっていた。その背景にあったのが金本位制の呪縛で、デフレと通貨高が起きていたのである。そこに、恐慌が押し寄せる。一九二九年から一九三一年の間に、鉱工業生産は21%も下落し、失業率は跳ね上がった。これに対してスウェーデン財務省は、一九三一年金本位制からの離脱を宣言するとともに、物価水準の目標を掲げて、それに誘導しようとした。消費者物価指数は、一九三二年から三三年に下落が見られたものの、その後上昇し、また、卸売物価指数は、一九三一年以降下落が止まり、しばらく横ばいを続けた後、一九三三年春から上昇に転じた。一九三三年春には30%にも達した失業率は、そこから下降し始め、一九三七年には半分にまで下がった。鉱工業生産も、一九三三年末には、大恐慌前の水準を回復し、一九三四年末には、さらに28%も増加したのである。
デフレに対して有効な対策が採られなかったアメリカでは、一九三二年には、鉱工業生産が、ピーク時の半分にまで落ち込み、恐慌前の水準を回復するのに、一九三六年までかかったのとは対照的である。スウェーデンのケースは、デフレ下の不況では、インフレ・ターゲットにより積極的にインフレに誘導する政策が有効であることを示している。産業基盤自体が弱ってしまわないうちに、デフレから脱出したことで、急速な経済の回復を認めたのである。フリードマンが言うように、失業率が、インフレ率ではなく期待インフレ率に左右されるのは事実だろう。だが、それは、失業率とインフレ率がまったく無関係な動きをするということではない。グラフは主要先進国全体における、一九八〇年以降三十年間のインフレ率と失業率の変動をみたものである(IMFデータを使用)。
インフレ率と失業率が、トレードーオフの関係で逆の動きをしていることがわかる。オイルショックといったインフレ率を激変させてしまう要因やグローバル化の影響を取り除けば、フィリップ曲線は健在なのである。実際、後期のサッチャー政権が示したように、インフレ率を上げるリフレーション政策は、失業率を下げるのに有効であった。ましてや、期待インフレ率がマイナスのデフレ状況を放置してよいという理由は見当たらない。当時のイギリスのように、10%を超えるインフレ率であれば、それ以上にインフレが進行することは避けねばならないが、日本の場合は、ずっとデフレ、つまりマイナスのインフレが続いてきたのである。その状況では、インフレの心配をする必要はほとんどなかったわけだから、躊躇なく期待インフレ率を高める政策をとるべきだったのである。それは、デフレと雇用問題を一挙に改善できる、まさに打ってつけの政策なのである。
アメリカはどうやって大恐慌から抜け出したか一方、アメリカは、大恐慌後のデフレ不況からどのように脱出したのだろうか。大恐慌におけるアメリカ財政金融当局の当初の対応は、甚だしい失敗例として知られているが、それは日本に起きたことと共通する点がある。大恐慌は、日本のバブル崩壊やアメリカのサブプライムーショツクと似て、株の暴落を機に、住宅投資バブルが弾けたことが背景にあった。破産するものが続出し、銀行も次々と潰れた。資産デフレとクレジットークランチが急速に広がったのである。当時のアメリカには、預金を保護する仕組みもなかったため、信用不安の拡大は留まるところを知らなかった。
ところが、そうした中で、財政当局は、税収減少による財政赤字の方を心配し、こともあろうに増税や財政支出の削減を行ったのである。そのため、さらに、消費や投資の低下を招いた。金融当局も、マネーサプライが四年間で25%も減ってしまっても、何ら有効な手立てがとれなかった。一九三三年、ルーズベルト大統領が就任すると、有名なニューディール政策に着手する。しかし、公共投資の規模はそれほど大きくなく、政府購人でみると、一九三三年は前年比で微増にとどまり、一九三四年に、ようやく一割程度増加(実質レベル)しているが、GDP比でみると、政府支出の割合は15%台で、その増加幅は1%程度に過ぎない。一九三五年には、さらに全国規模に公共投資が拡大し、軍事予算の増加もあって、一九三六年には、一段と政府支出が増加していたが、それでも、GDP比でみると、ほとんど変わっていない。一九三三年を底に、個人消費や民間投資が回復しつつあったが、一九三八年には、再び停滞し不況色が強まった。
2013年7月8日月曜日
2013年7月6日土曜日
悲観論を真に受けた国民
評論家に限ったことではない。いつのまにか、多くの人が、未来に対して悲観的に語ったり、否定的な面ばかりに注意を向けたりしがちになっている。この社会には、希望がないと思い込んでしまっているようなところがある。この国の将来は暗いと決めつけてしまっている。だからといって、どうしようとするのでもなく、ただダメだと否定するのだ。これは、先ほどの認知療法の話を思い出していただければ、まさに、悲観的な認知のワナにはまった状態だと言えるのである。実は、これこそうつ病に特徴的なサインなのだ。私には、日本という国全体が、うつ病的な思考に取りつかれた兆候を見せているように思えてならない。
国民だけでなく、指導者や官僚も、うつに取りつかれたとしか思えないような、自己卑下的で、悲観的で、自らを既め、損なうような行動にさえ走ろうとしている。うつ病に典型的な症状に、貧困妄想と呼ばれるものがある。本当は、大金持ちなのに、すっかり貧乏して破産してしまうという妄想に取りつかれた状態である。日本は、指導者も国民も、この貧困妄想に取りつかれたとしか思えない状況に陥っている。貧困妄想のために、本当に貧しくなってしまうという愚かしいことも起きているのである。自分から「デプレッション」になった日本人。本当に、日本はそんなに貧しくて、破産寸前の国なのか。
実は、私自身も、調べてみる前は、かなり悲観的な見通しをもっていた。こうなってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。不可避な事態に直面しているだけなのだと、半ばあきらめていた。世間の風潮やマスコミの論調に、いつの間にか影響されていたのである。確かに、財政問題など、解決すべき課題はあるものの、日本経済はそこまで悲観する状況にはないのである。面白いことにも気づかされた。悲観的なことを言ってきたのは、主に日本人だけで、海外の学者は、日本の状況をむしろ胆貳そうに眺めてきたということだ。その心のうちを一言でいうと、日本人はなぜ自分で自分を貧しくしてしまったのかということである。言い換えると、日本人は自分から「デプレッション」に陥ったということになる。デプレッションには、うつ病という意味と、不況という両方の意味がある。
財政問題にしても、普通にやっていれば国が破産するリスクなど存在しないのである。それについては、後の章で述べる。失業率や円高同様、財政状況は、確かに良い状態とは言えないものの、また、そこには、ツケを先に回す、日本国民の意思決定能力や制度設計能力の欠如があるとはいえ、国家経済が三年後に破綻することはあり得ないのである。そうした物言いも、悲観的認知をばらまくのに一役買ってしまっている。良いとは言えない状況になってしまったのも、悲観的認知によるところが大きいのである。破産するとしたら、そう思い込んでしまうことによって、自分たちを自分たちでどんどん貧しくすることによってでしかない。実際のところ、今は日本にとって、願ってもないチャンスの時なのだ。今までの苦労が生かされるときであり、強く、真に豊かな国に生まれ変わる好機なのだ。それを、台なしにしてしまっては、日本が再起するチャンスは本当に失われてしまう。
ところがそうした悲観論を真に受けた国民は、ますます悲観的になり、日本の前途を危ぶんでいる。確かに政策ミスから始まったことではあるが、それを悪い方向に膨らませてしまっているのは、過度に悲観的で否定的な認知のワナなのである。その悪循環が、大した問題でなかった問題を、命取りになりかねない問題にし、大きな潜在成長力をもつ国を、本当にダメな国にしかけているのである。経済というのは、実態がどうかということも大事だが、それ以上に、人々の期待で動いていくところが大である。多くの人が良くなっていくと思えば本当によくなっていくし、悪くなっていくと思うと、本当に悪くなってしまう。破産するという思い込みに満ちて行動していれば、自信も信用も失って、本当に破産してしまう。ノーベル経済学賞受賞者のポールークルーグマンは、日本の九〇年代以降の状況について、次のように述べている。
国民だけでなく、指導者や官僚も、うつに取りつかれたとしか思えないような、自己卑下的で、悲観的で、自らを既め、損なうような行動にさえ走ろうとしている。うつ病に典型的な症状に、貧困妄想と呼ばれるものがある。本当は、大金持ちなのに、すっかり貧乏して破産してしまうという妄想に取りつかれた状態である。日本は、指導者も国民も、この貧困妄想に取りつかれたとしか思えない状況に陥っている。貧困妄想のために、本当に貧しくなってしまうという愚かしいことも起きているのである。自分から「デプレッション」になった日本人。本当に、日本はそんなに貧しくて、破産寸前の国なのか。
実は、私自身も、調べてみる前は、かなり悲観的な見通しをもっていた。こうなってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。不可避な事態に直面しているだけなのだと、半ばあきらめていた。世間の風潮やマスコミの論調に、いつの間にか影響されていたのである。確かに、財政問題など、解決すべき課題はあるものの、日本経済はそこまで悲観する状況にはないのである。面白いことにも気づかされた。悲観的なことを言ってきたのは、主に日本人だけで、海外の学者は、日本の状況をむしろ胆貳そうに眺めてきたということだ。その心のうちを一言でいうと、日本人はなぜ自分で自分を貧しくしてしまったのかということである。言い換えると、日本人は自分から「デプレッション」に陥ったということになる。デプレッションには、うつ病という意味と、不況という両方の意味がある。
財政問題にしても、普通にやっていれば国が破産するリスクなど存在しないのである。それについては、後の章で述べる。失業率や円高同様、財政状況は、確かに良い状態とは言えないものの、また、そこには、ツケを先に回す、日本国民の意思決定能力や制度設計能力の欠如があるとはいえ、国家経済が三年後に破綻することはあり得ないのである。そうした物言いも、悲観的認知をばらまくのに一役買ってしまっている。良いとは言えない状況になってしまったのも、悲観的認知によるところが大きいのである。破産するとしたら、そう思い込んでしまうことによって、自分たちを自分たちでどんどん貧しくすることによってでしかない。実際のところ、今は日本にとって、願ってもないチャンスの時なのだ。今までの苦労が生かされるときであり、強く、真に豊かな国に生まれ変わる好機なのだ。それを、台なしにしてしまっては、日本が再起するチャンスは本当に失われてしまう。
ところがそうした悲観論を真に受けた国民は、ますます悲観的になり、日本の前途を危ぶんでいる。確かに政策ミスから始まったことではあるが、それを悪い方向に膨らませてしまっているのは、過度に悲観的で否定的な認知のワナなのである。その悪循環が、大した問題でなかった問題を、命取りになりかねない問題にし、大きな潜在成長力をもつ国を、本当にダメな国にしかけているのである。経済というのは、実態がどうかということも大事だが、それ以上に、人々の期待で動いていくところが大である。多くの人が良くなっていくと思えば本当によくなっていくし、悪くなっていくと思うと、本当に悪くなってしまう。破産するという思い込みに満ちて行動していれば、自信も信用も失って、本当に破産してしまう。ノーベル経済学賞受賞者のポールークルーグマンは、日本の九〇年代以降の状況について、次のように述べている。
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