評論家に限ったことではない。いつのまにか、多くの人が、未来に対して悲観的に語ったり、否定的な面ばかりに注意を向けたりしがちになっている。この社会には、希望がないと思い込んでしまっているようなところがある。この国の将来は暗いと決めつけてしまっている。だからといって、どうしようとするのでもなく、ただダメだと否定するのだ。これは、先ほどの認知療法の話を思い出していただければ、まさに、悲観的な認知のワナにはまった状態だと言えるのである。実は、これこそうつ病に特徴的なサインなのだ。私には、日本という国全体が、うつ病的な思考に取りつかれた兆候を見せているように思えてならない。
国民だけでなく、指導者や官僚も、うつに取りつかれたとしか思えないような、自己卑下的で、悲観的で、自らを既め、損なうような行動にさえ走ろうとしている。うつ病に典型的な症状に、貧困妄想と呼ばれるものがある。本当は、大金持ちなのに、すっかり貧乏して破産してしまうという妄想に取りつかれた状態である。日本は、指導者も国民も、この貧困妄想に取りつかれたとしか思えない状況に陥っている。貧困妄想のために、本当に貧しくなってしまうという愚かしいことも起きているのである。自分から「デプレッション」になった日本人。本当に、日本はそんなに貧しくて、破産寸前の国なのか。
実は、私自身も、調べてみる前は、かなり悲観的な見通しをもっていた。こうなってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。不可避な事態に直面しているだけなのだと、半ばあきらめていた。世間の風潮やマスコミの論調に、いつの間にか影響されていたのである。確かに、財政問題など、解決すべき課題はあるものの、日本経済はそこまで悲観する状況にはないのである。面白いことにも気づかされた。悲観的なことを言ってきたのは、主に日本人だけで、海外の学者は、日本の状況をむしろ胆貳そうに眺めてきたということだ。その心のうちを一言でいうと、日本人はなぜ自分で自分を貧しくしてしまったのかということである。言い換えると、日本人は自分から「デプレッション」に陥ったということになる。デプレッションには、うつ病という意味と、不況という両方の意味がある。
財政問題にしても、普通にやっていれば国が破産するリスクなど存在しないのである。それについては、後の章で述べる。失業率や円高同様、財政状況は、確かに良い状態とは言えないものの、また、そこには、ツケを先に回す、日本国民の意思決定能力や制度設計能力の欠如があるとはいえ、国家経済が三年後に破綻することはあり得ないのである。そうした物言いも、悲観的認知をばらまくのに一役買ってしまっている。良いとは言えない状況になってしまったのも、悲観的認知によるところが大きいのである。破産するとしたら、そう思い込んでしまうことによって、自分たちを自分たちでどんどん貧しくすることによってでしかない。実際のところ、今は日本にとって、願ってもないチャンスの時なのだ。今までの苦労が生かされるときであり、強く、真に豊かな国に生まれ変わる好機なのだ。それを、台なしにしてしまっては、日本が再起するチャンスは本当に失われてしまう。
ところがそうした悲観論を真に受けた国民は、ますます悲観的になり、日本の前途を危ぶんでいる。確かに政策ミスから始まったことではあるが、それを悪い方向に膨らませてしまっているのは、過度に悲観的で否定的な認知のワナなのである。その悪循環が、大した問題でなかった問題を、命取りになりかねない問題にし、大きな潜在成長力をもつ国を、本当にダメな国にしかけているのである。経済というのは、実態がどうかということも大事だが、それ以上に、人々の期待で動いていくところが大である。多くの人が良くなっていくと思えば本当によくなっていくし、悪くなっていくと思うと、本当に悪くなってしまう。破産するという思い込みに満ちて行動していれば、自信も信用も失って、本当に破産してしまう。ノーベル経済学賞受賞者のポールークルーグマンは、日本の九〇年代以降の状況について、次のように述べている。
2013年7月6日土曜日
2013年4月1日月曜日
大事な写真
しばらくして行ってみると、若葉はすっかり出そろい、大きくなった分だけ風を受けやすいのか、縦・横・斜めに揺れてはテングリ返りしています。前回の発見があったので、速いシャッターを切らず、自由に遊ぶ姿を、ゆっくりしたシャッタースピードで撮ってやると、嬉々として風と戯れる音まで聞こえてきそうな写真が撮れました。自己満足なだけのブレブレの写真ですが、額に入れて自室に飾っています。
秋も深まったある朝、同じ雑木林を訪ねてみました。緑一色だった林は、いつの間にか赤や黄色、それに紫まで加わって、低い太陽が逆光で青空に葉を透かしています。数枚写したあと、今度はスローシャッターで色を重ね合わせてみたべなりました。1/15から1/4秒までスピードの段階を変え、カメラを横に振って撮ってみました。
現像の上がったフィルムを見ると、高速で走る列車から見た風景のようです。全体が横に流れただけのコマもありますが、ルーペでよく見ていくと、幾つもの色が重なり、錦の模様を縫い込んだ刺繍のように写っているものもあります。こいつは面白い! これは新しい風景写真を撮る上でのヒントになるのではと、一人で悦に入ったものです。こういう撮り方をしたものは、ちょうど焼物の窯変と同じで、現像が上がってくるまで仕上がりはまったく予測がつきません。多少のフィルムの無駄遣いにはなりますが、こうやって遊んでみるのも、写真の楽しさの一つではないでしょうか。
大事な写真なのに、うっかり大オーバーのポジになってしまい、脂汗を流したことは何度もあります。露出オーバーで真っ白になったポジは、もう絶対に助かりません。しかし、真っ白になってしまったポジにも{何がしかのヒントは隠されているものです。化粧品メーカーの広告写真では、眉墨や口紅など個々の製品を強調するため、その部分以外の色を飛ばして真っ白にしている写真があります。
これを逆手にとって、わざと明るい白壁の前にガールフレンドを立たせ、思いきりきつい目線でカメラを睨んでもらいます。露出は二絞りでも三絞りでも、お好みでやってください。どうせ大失敗作を撮るのです。結果は美白の女王も真っ青の、大芸術写真。ガールフレンドの隠れた美しさを引き出す、最後の奥の手として使えるかもしれません。
失敗を実作に生かす例をいくつか紹介してきましたが、要するに、当初は失敗と思った写真でも、使い方、見方、考え方しだいでは、失敗作でなくなることもあるということです。もっとも、こうした失敗が起こるのも、絞りからシャッタースピード、ピント合わせまで自分で決めるカメラならばこそで、すべてがオートマティックの、いわゆる全自動カメラに頼っていてはできない芸当だともいえます。そう考えると、一見、便利この上ない全自動カメラも、ある意味では、適正露出でしか写せない、機能が狭くて不便なカメラだともいえそうです。
秋も深まったある朝、同じ雑木林を訪ねてみました。緑一色だった林は、いつの間にか赤や黄色、それに紫まで加わって、低い太陽が逆光で青空に葉を透かしています。数枚写したあと、今度はスローシャッターで色を重ね合わせてみたべなりました。1/15から1/4秒までスピードの段階を変え、カメラを横に振って撮ってみました。
現像の上がったフィルムを見ると、高速で走る列車から見た風景のようです。全体が横に流れただけのコマもありますが、ルーペでよく見ていくと、幾つもの色が重なり、錦の模様を縫い込んだ刺繍のように写っているものもあります。こいつは面白い! これは新しい風景写真を撮る上でのヒントになるのではと、一人で悦に入ったものです。こういう撮り方をしたものは、ちょうど焼物の窯変と同じで、現像が上がってくるまで仕上がりはまったく予測がつきません。多少のフィルムの無駄遣いにはなりますが、こうやって遊んでみるのも、写真の楽しさの一つではないでしょうか。
大事な写真なのに、うっかり大オーバーのポジになってしまい、脂汗を流したことは何度もあります。露出オーバーで真っ白になったポジは、もう絶対に助かりません。しかし、真っ白になってしまったポジにも{何がしかのヒントは隠されているものです。化粧品メーカーの広告写真では、眉墨や口紅など個々の製品を強調するため、その部分以外の色を飛ばして真っ白にしている写真があります。
これを逆手にとって、わざと明るい白壁の前にガールフレンドを立たせ、思いきりきつい目線でカメラを睨んでもらいます。露出は二絞りでも三絞りでも、お好みでやってください。どうせ大失敗作を撮るのです。結果は美白の女王も真っ青の、大芸術写真。ガールフレンドの隠れた美しさを引き出す、最後の奥の手として使えるかもしれません。
失敗を実作に生かす例をいくつか紹介してきましたが、要するに、当初は失敗と思った写真でも、使い方、見方、考え方しだいでは、失敗作でなくなることもあるということです。もっとも、こうした失敗が起こるのも、絞りからシャッタースピード、ピント合わせまで自分で決めるカメラならばこそで、すべてがオートマティックの、いわゆる全自動カメラに頼っていてはできない芸当だともいえます。そう考えると、一見、便利この上ない全自動カメラも、ある意味では、適正露出でしか写せない、機能が狭くて不便なカメラだともいえそうです。
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