しばらくして行ってみると、若葉はすっかり出そろい、大きくなった分だけ風を受けやすいのか、縦・横・斜めに揺れてはテングリ返りしています。前回の発見があったので、速いシャッターを切らず、自由に遊ぶ姿を、ゆっくりしたシャッタースピードで撮ってやると、嬉々として風と戯れる音まで聞こえてきそうな写真が撮れました。自己満足なだけのブレブレの写真ですが、額に入れて自室に飾っています。
秋も深まったある朝、同じ雑木林を訪ねてみました。緑一色だった林は、いつの間にか赤や黄色、それに紫まで加わって、低い太陽が逆光で青空に葉を透かしています。数枚写したあと、今度はスローシャッターで色を重ね合わせてみたべなりました。1/15から1/4秒までスピードの段階を変え、カメラを横に振って撮ってみました。
現像の上がったフィルムを見ると、高速で走る列車から見た風景のようです。全体が横に流れただけのコマもありますが、ルーペでよく見ていくと、幾つもの色が重なり、錦の模様を縫い込んだ刺繍のように写っているものもあります。こいつは面白い! これは新しい風景写真を撮る上でのヒントになるのではと、一人で悦に入ったものです。こういう撮り方をしたものは、ちょうど焼物の窯変と同じで、現像が上がってくるまで仕上がりはまったく予測がつきません。多少のフィルムの無駄遣いにはなりますが、こうやって遊んでみるのも、写真の楽しさの一つではないでしょうか。
大事な写真なのに、うっかり大オーバーのポジになってしまい、脂汗を流したことは何度もあります。露出オーバーで真っ白になったポジは、もう絶対に助かりません。しかし、真っ白になってしまったポジにも{何がしかのヒントは隠されているものです。化粧品メーカーの広告写真では、眉墨や口紅など個々の製品を強調するため、その部分以外の色を飛ばして真っ白にしている写真があります。
これを逆手にとって、わざと明るい白壁の前にガールフレンドを立たせ、思いきりきつい目線でカメラを睨んでもらいます。露出は二絞りでも三絞りでも、お好みでやってください。どうせ大失敗作を撮るのです。結果は美白の女王も真っ青の、大芸術写真。ガールフレンドの隠れた美しさを引き出す、最後の奥の手として使えるかもしれません。
失敗を実作に生かす例をいくつか紹介してきましたが、要するに、当初は失敗と思った写真でも、使い方、見方、考え方しだいでは、失敗作でなくなることもあるということです。もっとも、こうした失敗が起こるのも、絞りからシャッタースピード、ピント合わせまで自分で決めるカメラならばこそで、すべてがオートマティックの、いわゆる全自動カメラに頼っていてはできない芸当だともいえます。そう考えると、一見、便利この上ない全自動カメラも、ある意味では、適正露出でしか写せない、機能が狭くて不便なカメラだともいえそうです。
2012年12月25日火曜日
おおいに利用されたのは儒教思想である
それなのに、その後、血盆経には月経血についての穣れがつけ加わり、それによって子どもを産めなかった女性をも機れているとみなし、さらには女性という存在そのものに不浄観や、罪深さを広げている。そのような広がりは江戸期に入ってからである。またこの赤不浄ということを考えるうえで、男性修行者(宗教者など)には女性の魅力は断ちがたく、修行を完遂するには女性を「稔れたもの劣ったもの」として忌避する必要があったことも見のがせないし、さらに社会状況との関係も見のがしてはならないと警告している。
そういうことを考え合わせていくと、明治という時代も、このようないわれのない不浄観を助長させ、男女の心を隔てさせた時代ではなかったかと思う。近代化を急ぐため、旧来の風習を、ほとんどが迷信に満ちたものと否定し、棄て去ろうとした明治政府の西欧化政策についてはすでに述べたが、その対象となったのは医療だけではなかったのである。
娘宿、若衆宿、自由恋愛、夜這い、自由意思による結婚、掠奪結婚など、当時の庶民の恋愛観や男女の結びつき観は、基本に夫婦二人の愛情やいたわりや信頼感を含んでいたと思われる。それは国家が陣容をAtとのえヽ安定に向かって整備され人々を富国強兵に向かって収斂し始めると、いわば横一列の平等な情愛による結びつきは非常に都合が悪かった。そのため「家」を基本単位として国民を縦割りに序列化し、人々のきずなや人間関係を分断したのではないかと考える。国家は天皇と庶民の「家」とに、「家」は親と子、跡取りと次こ二男、男と女という縦の上下関係へと整備された。天皇は親、国民は子、国家は家族という擬似家族としても位置づけられた。
この位置づけの時、おおいに利用されたのが儒教思想であり、女性不浄論ではなかったかと思われる。したがって、「女の人のお産は不浄だからデーベヤで暮らすことになっていたらしいけど、私にとっては仕事もせんと1ヵ月間、女同士おしゃべりしたり、自分のものを炊いて食べて洗いものと子育てだけの生活は本当に楽しかった。デーベヤ友達は、いまでも仲よしにしている」(伊吹島、Lさん、六二歳)とか「人生の花だった」というこれらの言葉は、仏教における女性不浄論の存在を過小評価してはいけないといましめつつだが、それでもなおその庶民の暮らしの本流に、女性に対する平等観や産婦への特別重視待遇(米との関わり)があったと考えてもいいのではないかと思う。
さらに、お産の血を忌むのならば、なぜ出産が自宅で行なわれた後、日を改めてサンヤ入りするのかも解せない。これらの思考から、どうやら女性の不浄視や劣等視によるいわれのない男女の性差別観が、庶民の間に根をおろし、拡大されたのは、私たちの手の届きそうな近世であり、しかも為政者の意図的なものである可能性が高いと思われる。
そういうことを考え合わせていくと、明治という時代も、このようないわれのない不浄観を助長させ、男女の心を隔てさせた時代ではなかったかと思う。近代化を急ぐため、旧来の風習を、ほとんどが迷信に満ちたものと否定し、棄て去ろうとした明治政府の西欧化政策についてはすでに述べたが、その対象となったのは医療だけではなかったのである。
娘宿、若衆宿、自由恋愛、夜這い、自由意思による結婚、掠奪結婚など、当時の庶民の恋愛観や男女の結びつき観は、基本に夫婦二人の愛情やいたわりや信頼感を含んでいたと思われる。それは国家が陣容をAtとのえヽ安定に向かって整備され人々を富国強兵に向かって収斂し始めると、いわば横一列の平等な情愛による結びつきは非常に都合が悪かった。そのため「家」を基本単位として国民を縦割りに序列化し、人々のきずなや人間関係を分断したのではないかと考える。国家は天皇と庶民の「家」とに、「家」は親と子、跡取りと次こ二男、男と女という縦の上下関係へと整備された。天皇は親、国民は子、国家は家族という擬似家族としても位置づけられた。
この位置づけの時、おおいに利用されたのが儒教思想であり、女性不浄論ではなかったかと思われる。したがって、「女の人のお産は不浄だからデーベヤで暮らすことになっていたらしいけど、私にとっては仕事もせんと1ヵ月間、女同士おしゃべりしたり、自分のものを炊いて食べて洗いものと子育てだけの生活は本当に楽しかった。デーベヤ友達は、いまでも仲よしにしている」(伊吹島、Lさん、六二歳)とか「人生の花だった」というこれらの言葉は、仏教における女性不浄論の存在を過小評価してはいけないといましめつつだが、それでもなおその庶民の暮らしの本流に、女性に対する平等観や産婦への特別重視待遇(米との関わり)があったと考えてもいいのではないかと思う。
さらに、お産の血を忌むのならば、なぜ出産が自宅で行なわれた後、日を改めてサンヤ入りするのかも解せない。これらの思考から、どうやら女性の不浄視や劣等視によるいわれのない男女の性差別観が、庶民の間に根をおろし、拡大されたのは、私たちの手の届きそうな近世であり、しかも為政者の意図的なものである可能性が高いと思われる。
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