2016年4月19日火曜日

顕示的消費から「自己開発志向」の消費へ

ギークたちは、既存のビジネス文化や学校文化がもつ権威的な慣習を、根底から塗りかえようとしている。彼らは、けっして孤立したアトミズムの世界を卦きているのではない。彼らはむしろ、横のコミュニケーションを通じて、現代社会を変革するための、グローバルな共同性を模索しているのである。学校の規律訓練権力に従わなくても、あるいはルックスが悪くて礼儀や身形に欠けても、IT社会は、ギークたちに魅力的な自己実現の機会を提供してきた。既成観念や既成慣習にとらわれずに生きるという意味での「自由」は、アメリカではまさに、ギークスのような人々によって実現されたといえるだろう。

ギークスのなかでも野心的な人々は、IT革命の聖地であるシリコンバレーに結集し、「シリコンバレー精神」を生み出してきた。八〇年代におけるポストモダン革命の担い手たちが、「記号の消費」に興ずるブランド消費者たちであったとすれば、現代のIT革命の担い手たちは、一見すると役立ちそうにない事柄に熱中する「オタク」や「ギークス」だ。「オタク/ギークス」は、創造階級の一部として台頭しつつあり、私たちは現在、次のような選択を真剣に迫られている。

すなわち、はたして企業に就職してつまらない仕事に甘んじる「スーツ」となるのか、あるいは、いかに虐げられようとも、地下の世界に沈潜して「創造者」となるのか、という選択である。成熟した「豊かな社会」を生きる私たちにとって、「生き方」をめぐる問題とは、「きらびやかな消費生活」を手に入れるためにあくせく働くことよりも、「自分で熱中できること」をみつけて没頭したほうが、いっそうすぐれた生活になるかもしれない、という点であろう。熱の冷めた「ブランド男/ブランド女」になるよりも、没頭できることをみつけたほうが、よい人生といえるのではないか。