2015年6月18日木曜日

死についての医学的考察

哲学者や宗教学者などの専門家は別として、一般の人は、常識として何となくわかっているようでも今までつきつめて考えてはみなかった「人の死とは何か、生とは何か」という命題を新しい先端医療との関連で考えてみなければならない事態に直面して困惑ぎみなところもあろうかと思われる。そこでまず、現在の医学・医療の科学的レベルにおいて考えられる人間の死の現象について解説しておきたい。それゆえ、ここでは哲学的、宗教的、法的、社会的な死などについては言及しない。

医師側から死についての医学的定義を提示して、それをそのまま一般社会に人間の死として容認してもらおうと押し付けることが許されないことは自明なことである。一方、一般社会から医師側に、医学の素人が頭の中で考えただけの医学的根拠のない死の定義や臨床的に判定不可能な死を定義して押し付けられても、医師は患者の死を判定することができず、医師としての責務を果たせないのも自明なことである。

さて、死とは、意識がなく呼吸が止まり心臓も止まって身体が冷たく目がうつろで全身が動かなくなること、と一般には考えられてきた。もう少し詳しくいえば、呼んでも揺り動かしても全く反応がなく、自発呼吸もなく、心臓の拍動も触れず脈もなく、瞳孔はまったく大きさを変えずヽ顔の色が悪く生気がなく、体温は下がって冷たくなり、身体のどの部分にも自発運動がない状態が「死んでいる状態」というのが従来の一般的な常識であった。

医学的にいえば、さらに目の反射運動の消失(まぶしい光をあてた時に瞳孔が収縮する対光反射の消失、および角膜表面に毛の先などが触れると目を閉じる角膜反射の消失)を確認することが大切であり、これと心臓停止と自発呼吸停止の三徴候をもって人間の死と臨床的に判定してきた。この判定には、心電図検査、脳波検査や病理組織学的検査などの、死んでいることを裏づける医学的検査をすることはまったく条佳づけられてはおらず、また人の死の決定についての法的要件としては「医師が判定する」ことだけが定められているに過ぎないことに注意していただきたい。

脳死をもって人の死と認めるかどうかの議論の際に「死の判定を医師に任せておくことはできない」という誤解されやすい意見が巷で通用しているが、「死の判定」を医師以外の人がしたら、それこそ医師法違反で犯罪となることを忘れてはならない。