2014年12月19日金曜日

ロボット導入の三原則

日産座間工場の工場長の話によれば、よその企業との競争があるので、これからもロボット化は″逐次”すすめていく、とのことである。これまでの自動車業界のロボット化は、プレス、溶接、塗装とすすめられたが、こんごの問題は、組立てロボットである。わたしの短い経験によっても、ボルトをさしこんで、ナットランナーで締めつけるだけの単純な作業でも、ボルトの精度かネジ穴の精度が、コンマ以下のミリ単位での誤差があるだけで手こずってしまう。そんな誤差をカバーして、すばやく締めるのが不熟練労働のなかでの熟練である。そこまではロボットの代用はまだできていない。

とすると、精度をさらに完璧なものにするか、時計やカメラのようにプラスチックなどの射出成型によって工程を短縮するしかない。当面は組立てロボットよりは、まだまだ人間のほうが安くつく。工場長によれば、ロボット導入の三原則とは、①労働環境が悪く、疲労感のたかいところから入れる。②精度をたかめる。③生産性向上。という。しかし、組立てロボットよりも人間のほうが安い以上、コンベア労働がどんなに疲労度のたかい苦役であったにしても、経営者はコンベアを廃止しようとはしない。ロボッ卜は一台一五〇〇万円までが導入の限度とのことである。この工場の生産性は、まいとし、一〇パーセントずつあかっている、という。

日本的な合理化の異常さは、外国からみるとよく認識できる。たとえば、おなじコンベア労働でも、アメリカの自動車工場は、もちろん制服はない。だから、みんなかってなシャツを着たり、かってな帽子をかぶっている。黒人がいたり、アラブ人がいたり、いろんな人種がいて、思いおもいの服装をしている。コンベアで手を動かしながら葉巻をくわえている労働者もいる。フォークリフトの運転手はパンをかじりながら運転している。とにかく雑多な印象を受ける。

ところが日本の自動車工場は、一八~二五歳前後の若い労働者が、おなじ制服でほぼおなじ表情でまったくむだなく手足を動かしている。だから、取材にきた外国の記者たちは、「日本の工場は軍隊組織だ」といって帰るのだが、日本の工場が軍隊組織だといういい方は、日本の軍国主義にたいする反感がふくまれているオーバーな表現だ、とわたしは思っていた。