2014年10月18日土曜日

円高対応という守りの選択

このような現実を迎えなければならなかったのか。円高対応という守りの選択ではあったが、対アジアの直接投資は、本来は円圏成立のための基礎的条件を醸成するはずであった。ところが、アジアが実質ドル圏であるために、日本の投資はかえって日本経済をドル圏に深く組み入れる結果となっている。

ここで想起されるのが、80年代、マレーシアのマハティール首相が提唱したEAEC(East Asian Economic Caucus)構想である。この「束アジア経済協力体」構想は、当時、アジアにおける円経済圏への展望を示したものとして注目された。

こうした動きが実を結んでいれば、EAECの域内では、97年のような危機は回避され、円基軸の安定した投融資の恩恵を日本も域内国も、ともに享受できたはずである。また、そうした円経済圏を背景としてはじめて、日本は円の対ドル・レートを相対的に安定させ、世界最大の債権国としての本来的な対外投資を継続することができたのではないかと思われる。

しかし、この構想は、日本がASEANとアメリカの板挟みにあうなかで頓挫した。円経済圏の創出は、アメリカの死活的利害に関わるため、べー力ー国務長官が宮澤首相に強力な圧力をかけてこれを断念させたのである。

EAECは太平洋を分断する、APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)こそが双方の利益にかなう、これが一貫したアメリカの立場であった。APECは、もともと日本の通産省がオーストラリアと組んで実現したものだが、すでにアメリカのコントロール下にある。