2014年8月23日土曜日

スペシャリストからゼネラリストの時代へ

わたしは、SEとしていろいろな業務を経験したが、基本的には後者のタイプのSEだった。「勝ち組」かどうかを自分で判断するのは控えたいが、少なくとも担当した保守業務では誰にも負けないトップの腕を持っていたと自負している。つねにトップであることは、プレッシャーもかかるし、体力的な負担も大きい。困難な任務が大量に、いちばん腕のよい人間に集中するからである。

わたしの場合も、夜中の電話で叩き起こされることは日常茶飯事で、あまりに勘が冴えているときは、真夜中の三時、四時でも電話が鳴ると同時に受話器を取っていたものだ。自分の両腕に何億円もの利害がかかってプレッシャーに押しつぶされそうになったこともあるし、前に述べた例のようにタイムリミットの数分前にようやく問題を解決するような、心臓が凍りっく経験、綱渡りのような思いを数え切れないほどしてきた。だが、そのような経験を積み重ねることで、担当システムに関しては超一流の腕を誇れるようになったし、一瞬でシステムの構造を見透かせるような「レントゲンの目」も持つことができた。だから、派手な実績こそないが、保守業務を経験できたことは自分にとってプラスだったといまでは思っている。

腕を上げると仕事が増える。仕事が増えるとまた腕が上がる。それが理想的な循環である。その循環にうまく自分を乗せることができれば、SEとして急激に成長できる。保守業務に回ることがあれば、何がなんでも仕事を極めることだ。そしていちばんの凄腕をめざす。そうすれば、必ず「勝ち組」に残ることができる。

スペシャリストの時代が終わろうとしている。企業社会は、一九八〇年代前半まではゼネラリストの時代だった。これといった突出した技能があるわけではないが、どのような仕事でもある程度のレベルまでこなせる万能選手、悪い言い方をすれば「器用貧乏」がサラリーマンの大半を占めていた。そして、サラリーマンの目標は誰も彼も、より上位の管理職へ出世するという画一的なものだった。また、組織構造の多くは年功序列制に依存していた。

しかし、一九八〇年代後半から、ある特定の技術に長け、限定した業務に特化するスペシャリストが強く求められるようになった。ゼネラリストばかり増殖した反動と言える。企業は個性を重視し、ひとりにすべてを求めるのではなく、それぞれ得意分野を持つ複数の人間に業務を振り分ける、分業制をとるようになった。総合職、専門職と呼ばれる人事制度が生まれたのもこのころである。