2014年4月17日木曜日

海外生産の有利性

投人財の国内生産を誘発したのは需要圧力ばかりではない。最終財輸出によって入手した外貨が重化学工業部門にふり向けられ、これが後者の重要な開発資源となったという経緯もまた、指摘されねばならない。そうした経緯は、郷鎮企業の労働集約的製品の輸出にはじまり、そのインパクトを内陸部重工業部門におよぼしていこうという、王建の想定する段階論的戦略に見合うものであり、その有効性はNIESの経験によって実証されている。

趙紫陽=王建のアプローチが有効とみなされる理由のさらにもうひとつは、この戦略の出発点にある沿海地域における郷鎮企業の輸出志向工業化戦略、わけても外国資本の導入をあおぎながらの輸出戦略は、中国をとりまく東アジアの国ぐにに現在激しく進行している構造調整と、それにともなってこの地域に新しく生まれつつある貿易・投資環境によく適合している、というところに求められる。

東アジアに生起している新しい状況とはなにか。このことの詳細は次章で論じる。しかし、さしあたりつぎのことを述べておきたい。一九八〇年代に入って開始された円高、とくに一九八五年「プラザ合意」以降の超円高のもとで、日本は束アジアからかつてない規模での製品輸入をつづけている。円高を通じて輸入価格が低下したがゆえぽかりではない。

円高によって海外生産の有利性が強まり、技術力の強い束アジア開発途上国に生産拠点をシフトし、そこからの「アウトソーシング」(海外調達)を試みる企業が大きく増加したのである。かくして日本は低位技術部門を近隣の開発途上諸国に委譲し、みずからは高度技術部門に特化するという、東アジアをベースとした産業内分業を活発に展開した。日本は、中国が東アジア市場に参入しようとするまさにこの時点において、東アジアにおける巨大な「需要吸収者」となり、のみならず巨大な投資者としてもたちあらわれたのである。