2013年12月25日水曜日

おカネの問題を避けて通るエンジニア

経済学者の大半はこのように考えているようだが、それは自らの責任を回避するためではなかろうか。こう思っていたところに、二〇〇八年コー月の日本経済新聞のコラム「私の履歴書」の中で、小宮隆太郎氏が「バブルの真犯人は前川レポートだ」と断言しておられるのを見て、胸がすく思いだった。私は第四章で紹介する均衡株価理論を応用して、どこでバブルが崩壊するかを具体的に示す方法を見つけ出そうと努力した。しかし現在に到るまで、明確な回答は得られていない。かなり努力したにもかかわらずダメだったのだから、これ以上やっても私の力では無理だろう。いずれ優秀な若者が、「実験経済学」や「行動経済学」の手法を使って、この問題を解明してくれることを期待しよう。バブルの定量的解明に成功すれば、これらの新分野は、経済学王国における一流市民の地位を確立することができるだろう。

バブル崩壊は経済システムの失敗を表すものである。その原因解明が難しいことはわかる。あまりにも多くの人が関与しているからである。橋が壊れたのは、多くの人がそこを渡ったせいかもしれない。しかし責任があるのは、そのような橋を作った人と、多くの人を渡らせた人なのである。MITスローンースクールのデビッドーシュミッタライン学部長は言っている。「金融工学バッシングをしている人の中には、金融工学なんかやめてしまえという人もいる。しかしそれは、一度橋が壊れたからもう橋を作るのはやめよう、と言っているようなものだ。人間はもはや、ボートで川を渡るような世界に逆戻りすることはできない。我々がやるべきことは、絶対に壊れないような橋を作ること、そしてそれを適正にメンテナンスすることなのである」と。

一八歳で理工系大学に入学して以来、私は約五〇年をエンジニア集団の中で過ごしてきたが、(経済学科や数学科ほどでないにしても)工学部にも専門分野に関する序列がある。最上位にランクされるのが、ものづくりの研究である。これに比べると、ソフトウェアや。ことづくりタの研究は、長い間ランクの低い研究と見られてきた。この結果わが国は、これらの分野でアメリカに途方もない差をつけられてしまった。情報処理学会会長を務めた益田隆司博士(前電気通信大学学長)によれば、ソフトウェアーサイエンスの担い手を育てることができる大学は、日本にはほとんどないということだ。

ソフトウェア以上に、工学の研究対象とはなり得ないと考えられてきたのが、おカネである。エンジニア集団では、「ヒト、モノ、カネ、情報」の中で、カネの研究は問題外の外扱いだった。おカネのことは、おカネの専門家に任せておけばいい。おカネの知識が必要になったら、そのときちょっと勉強すれば足りる一九八〇年代半ば、工学部教授の一〇人中九人はこう考えていた。もちろん工学部教授にもおカネは必要である。おカネがなければ手も足も出ない実験系の教授は、研究費の獲得に命を懸けている。しかし、研究費の使い道は決まっているし、その収益率を考える必要は全くない。つまり工学部教授がおカネについて考えるべきことは、「それを取ってきて使う」ことだけなのである。

一方、企業に入ったエンジニアは、はじめのうちは技術開発・商品開発の現場で細かい技術的な仕事に携わる。しかし一〇年後に課長となり、二〇年後に部長になると、かなり大きな額のおカネを扱う。新商品を開発するためには、数千万単位のおカネが必要となる。それだけの資金を使う際には、そこから得られる不確定なキャッシュフローを計量して採算をはじく必要が生じる。そしてそのためには、資本費や減価償却費、内部収益率、そしてCAPMくらいは知らなくてはならない。財務の専門家に相談することはできるとしても、技術が絡んでいる問題だから、すべてを人任せにすることはできない。優秀なエンジニアであれば、少々勉強すれば済むかもしれない。問題はその先である。取締役として経営陣に加わると、議論の半分近くはおカネである。貸借対照表、損益計算書を前に交わされる議論に加わるには、かなりの勉強が必要である。