2013年11月6日水曜日

独自の歩み方をしている国

明治以来、和服を脱ぎ捨て、ズボンをはき、見事に近代化を達成して、「今は、諸国民のあいだでもっとも活動的な能率の上がる国民の一となった」日本人の騎りであろう。道路も電灯もすべて外国人に造ってもらっていた一九九〇年代初めのブータン人を前に、日本からの一人の青年海外協力隊隊員は次のように記している。「日本人はリッチだ」といつもブータン人から言われる。(中略)「リッチ」と言われると、「君たちももっと一生懸命に働くべきだ」と言いたくなる」「どうもブータンという国は、近代化についてほかの国からいつも特別の見方をされている。「急速な近代化を避けて、独自の歩み方をしている国」「古いものをそのままで生かしている国である」というような。

でも、そこに生活している目で現実を見つめると、それはただの途上国なのだとおもわざるをえないことをしばしば感じる。文明から取りのこされたためにブータンに残ってしまったものが、かえって先進国の人間の郷愁をそそることになったわけだ。われわれは(私は)旅行でブータンに来たのではない。旅行者ならとおりいっぺんの感想で「ブータンは素朴でいい。近代文明が失ってしまったものがここにはまだたくさんのこっている」といっておればいい。それも間違ってはいない。たしかにいまの日本が、発展・繁栄と引き加えに失ってしまった大切なものが残っている。しかし、なぜ残っているかと言うと、結局は未開発・未発展という事実に行きついてしまう」(石田孝夫『ブータンに図書館をつくる 青年海外協力隊隊員の730日』明石書店、一九九三年)

前者は小説の中の兵隊であり、後者は実際にブータンで生活をした青年海外協力隊隊員であるが、両者ともブータンに限らず発展途上国一般にたいする日本人の見方を代表しているであろう。その根底にあるものは、現在世界的に採用されているGNP(国民総生産)とかGDP(国内総生産)という数値で計れる物指しから、経済的・物質的発展の先進・後進を論じる立場である。そしてこの基準からは、ブータンは世界の最貧国の一つであり、日本は先進国の一つであることは異論の余地がない。しかし問題は、こうした視点からだけで国、国民を論じることが妥当か否かであろう。

たとえば、西ヨーロッパの主要国は経済的にほぼ同じ発展レベルにあるが、その生活様式、価値観は国ごとに異なり、それが各国の国民性、文化である。ブータンと日本のように発展レベルが極端に違うと、現時点で両者の間に見られる様々な相違が、発展レペルの違いに由来するものなのか、あるいは別な、たとえば文化的・宗教的要因に由来するものなのかの判別が難しい。変わりゆく中で確かに、ブータンの生活様式も、近代化の度合いによって変わりつつある。たとえば、わたしが赴任した一九八〇年代初めのブータン人の時間的ゆとり、人々の和やかさは、その後の「近代化」により、かなり失われたことは否めない。

すでに述べたように、勤務時間は当初、月曜日から金曜日までが朝八時から午後二時(昼食時間なしの連続勤務)まで、土曜日は朝八時から二時までであった。ところが二、三年してから、国際化・近代化という動きの中で国連開発計画(UNDP)の専門家により、勤務時間の見直しが提案された。そしてそれが採用され、以後は朝九時から昼食休憩一時間を挿んで午後五時までという、世界中どこにでもある勤務時間となった。時間的には二、三時間の差であるが、わたしはこの間に本質的な違いを感じた。それまでの半日仕事の時には、人びとの生活の中心に家族があった。それが、朝九時-午後五時の勤務になると、就労者にとっても、残りの家族にとっても、家族の価値、役割は半減した。就労者にとっては、仕事が中心となり、家族にとっては主人不在の生活となり、家族と仕事の価値が大きく変化した。