2013年8月28日水曜日

沖縄=長寿県のイメージはいかにして定着したか

実はこの「びせざき」、〇二年に四七歳で亡くなられた高円宮憲仁親王がひいきにされていたペンションで、毎年のようにお子様を連れてこられ、熊本保美さんこと「熊さん」のゆんたくと料理を堪能されていたという。複眼的な着眼点を持てば、沖縄のよさを再発見できる。もうひとりは伊波京子さんだ。沖縄から、一念発起して千葉県に移り住んだが、十数年前に「寄せ植え」に出会い、「大きな庭をコンパクトにしたような世界に、いっぺんに魅せられた」という。寄せ植えは英国から伝わったもので、かいつまんで言えば「盆栽風活け花」だろうか。陶磁器や金属などの器にさまざまな草花を植え込み、ひとつの世界を演出する。野の草花を多用して、独特の作風をつくりあげ、NHKの「趣味の園芸」で一年間連載してから広く知られるようになった。

英国王立園芸協会の会員にもなり、ファンも増え、講習に東奔西走と忙しい毎日を送っていたのに、沖縄に戻って「コンテナスタイル オーガスタ」という店を開いた。現在はホテルの庭園も手がけるようになり、山野草や自然木を活かした斬新さから、県内にも固定ファンができつつある。沖縄では、山野草といっても雑草同然で、その価値はほとんど知れていない。「沖縄の草花のすばらしさを、県民に再認識してもらいたい」という。沖縄に長くいると地理的可視範囲が狭まるが、それと同じで思考も小さく固定化していくことに焦りを覚えることがある。物事は複眼で見てこそ正確に捉えることができる。彼らのような複眼で捉えることのできる人たちに、もっともっと島に戻ってもらいたいと思う。

沖縄が「長寿の島」「健康の島」と呼ばれるようになったのはそれほど昔のことではない。おそらく一九九五年に、当時の大田昌秀知事が、「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念」の一環として「世界長寿地域宣言」を発表してからではないだろうか。もっとも長寿宣言をしたのは、八〇年から八五年の間、都道府県別平均寿命が1位だったからで、〈当時、沖縄の平均寿命は女性一位、男性五位とされ、百歳の長寿者が占める割合、百寿率はダントツのトップだった〉(『沖縄タイムス』〇三年一月二三日)と言われたほどであり、長寿宣言を出したのも無理からぬことであった。実際、北部の大宜見村は、一九九六年に世界保健機関(WHO)から「世界一の長寿地域」に認定されたこともあり、現在も沖縄全体で一〇〇歳以上の長寿者の数は世界最高峰を誇っている。

沖縄が長寿の島と言われる理由の一つは、「沖縄に学べ」とばかりに、沖縄の健康法がさまざまなメディアを通して紹介され、またたく間に「沖縄長寿県」のイメージが定着していったことがある。とりわけ、「沖縄長寿の島」のイメージに結びつきやすかったのが、沖縄の食材であった。たとえば、「コラーゲンたっぷりの豚肉を食べるから長生き」「元気なのはもずくを食べているから」といったことが、まことしやかに広がっていくのである。沖縄のオバアたちは、客が来ると黒糖をお茶受けに出すことから、黒糖も健康食になった。最近では、豚肉、ゴーヤ、もろみ酢、海ぶどうと、沖縄の食材ならすべて体にいいというイメージができ上がっている。〇八年のことだった。久高島の子供たちがイノーで追い込み漁をするというので取材に行った。もとは一三歳で成人を迎えた男子の儀式だったが、今は学校行事として行われているそうだ。

それはともかくヽ当日は快晴で真夏の陽射しだったのに、六月ということで油断したのだろう。軽率にも頭にタオルを巻いただけで海に出た。浜に戻ってきたときは顔も腕も足も真っ赤で全身が熱を帯び、体を動かすたびに「あがあ」(痛ッ)と声をあげ、島の人から「もうちょっとでヘリを呼ぶとこだったね」と冷やかされる始末だった。這々の体で那覇に戻り、以前から親しくしている糸満出身のオバアに相談するとこう言われた。「とりあえずアロエで熱をとりなさいね。本土のアロエはだめよ。ウチナーのアロエよ。月桃の葉を煎じたものを売ってるからそれで体をふいてもいいさ。そのあとでイラブーを食べなさいね」イラブーとはウミヘビのことで、久高島のイラブーは有名だ。こんなことなら久高島で食べてくればよかったと後悔したが、壷屋でも食べさせる店があるというのでそこへ向かった。