2012年8月9日木曜日

予算編成は首相の主導?

霞が関の官庁街を見下ろすような位置にある永田町の小高い丘。そこに建っているのが国会議事堂だ。日本国憲法で「国権の最高機関」と規定されている国会は、この議事堂で開かれる。正面に向かって左が衆議院(以下、衆院)、右が参議院(以下、参院)である。

小渕恵三前首相が脳梗塞で倒れた直後の二〇〇〇年四月五日に就任した森喜朗首相は、同月七日、衆参両院の本会議場で所信表明演説を行った。高価な木材をぜいたくに使った両院の本会議場中央の演壇に立ち、それぞれ数百人の国会議員、さらにテレビや新聞報道を通してその背後の一億人以上の国民を相手に施政方針や所信表明を演説できるのは、最高権力者である首相にだけ認められた特権である。

前任者の不慮の死の結果とはいえ、国政を志した者が一度は夢見る最高権力の座を得た森は、稲田大学雄弁会で鍛えた弁舌を武器に朗々と所信を述べた。まさに一世一代の晴れの舞台だった。ただ内容は、財政、福祉、教育、外交、安全保障などさまざまの分野にわたり総花的に述べた


しかし、一ヵ所だけ、大蔵官僚たち。とりわけ同省の「保守本流」である主計局の官僚たちが注目した部分があった。「また、省庁ごとの縦割りを優先する予算配分がもたらす財政の硬直化を打破すべく、平成一三年度予算編成に際しては、来年一月の中央省庁再編の理念を踏まえ、経済財政諮問会議で経済財政政策の総合調整を図るとの考え方を先取りし、私自らの主導で、二一世紀のスタートにふさわしい予算編成を行ってまいりたいと考えております」というくだりである。

このセンテンスは、大蔵官僚が手を入れたものでないことは明白だ。というのも、大蔵官僚が「財政の硬直化」という言葉を使う場合は通常、財政赤字のために国債費の比率が高くなって、新規施策に予算を回しにくくなっているという意味である。だが、この森発言のいう「硬直化」とは、省庁の縄張りごとに硬直化した予算配分という意味にしか聞こえない。

とはいえ、所信表明演説の原稿は、大蔵省をはじめ各省庁がすべて事前にチェックしており、閣議でも了承されるので、大蔵官僚たちも事前に知っていた。だから、この発言に驚いたわけではない。通常なら、この発言は大蔵省の予算編成権に対する「政治からの挑戦」と受け止められるはずである。

実際、来年一月の省庁再編に伴って内閣府に新設される経済財政諮問会議での「経済財政政策の総合調整」が意味するのは、予算編成における政治の主導権確保にほかならない。それを「先取り」するというのだから、本来なら、大蔵省にとっては歓迎すべからざる発言である。

大蔵省はここ数年、個別の非行官僚たちのスキャンダル、さらにはその集大成ともいうべき九八年初頭の「大蔵省金融汚職事件」などでイメージを大きく傷つけた。その間、不明朗な住宅金融専門会社(住専)の破綻処理をはじめとして金融行政のたび重なる失敗などから、「大蔵解体」論が幅広く巻き起こった。その結果、財政政策と金融行政部門の分離も迫られ、二〇〇〇年七月の金融庁発足で、金融行政部門は大蔵省からほとんどもぎ取られたのである。

だからここで、大蔵省の権力の最大の源泉である財政=予算編成の権限も失えば、大蔵省の体制の立て直しはほとんど不可能になるに違いない。森発言はそうした流れに棹さすものではないか、と考えた国民も多かったはずだ。